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Hossy☆★Style  自遊人♪ただいま試運転中

毎朝1本とりあえず書き始めています★

政府や権力者をクソだと思っても、

それを変えようとして変わることはない。

 

それは、

 

自分に置き換えるとよくわかってくる。

 

「変えろ」って外圧がかかったときにどうするか。

 

むしろ、ますます頑なになって変えようとしない。

厄介なところに、自らのプライドを守りたいから、

あたかも変えるような素振りを見せつつ、

良い子ちゃんぶりながら巧妙に別の手を打ってコントロールし続ける。

 

これが人間の集合意識のなかで、

ごく自然に行われていることである。

 

表の顔では聖人君子を気取り、

腹の中では悪魔が笑う(*`艸´)ウシシシ

 

かつてはそれで通用していたけど、

いまはネット情報が氾濫しているから、

いくらでも「反目」を前提とした発信に触れてしまう。

そして、そこにはまりがちな傾向にもある。

 

いつの時代でも、民衆は自分のたちより上の立場を妬み怒りの矛先を権力者に向けがちである。

そして、権力者はその怒りの矛先をそらすための策を打ち出してきた。

しかも、民衆に気が付かないように。

人間って懲りないもんだ。

 

でも、私も人間である。

恐ろしいことに同じことを日常の中でやっている。

そして、そのことに気づかず達観した自分を気取っている。

 

目の前に映し出されることはすべて自分の反映だとか言われるが、

とてもそう言い切れずにいるのも人間だと思う。

記憶喪失で神様のごとく振舞いたがるのも人間だからね。

 

外の現象を変えずに、自らの内側を変えていく。

 

内側を変えることで、人間という懲りない面々がどう変わっていくか。

そして、人間ではない存在との接点ができるだろうか。

 

ただいま実験中といったところか。

 

 

 

 

ネガティブな出来事に直面したら儲けもの♪

 

いやいや、ごく自然にネガティブは嫌だよなって反応する。

 

苛立っていたくないし、

嫌なやつにとらわれたくないし、

満たされない思いに切なくなったり…。

 

そして、ネガティブな自分を隠そうとしたり、

ポジティブな自分を演じようとしたりする。

 

うぅん、なんだか不思議だなと感じるこの頃。

 

だって、嫌なものは嫌だし、

違和感を持ったということはおかしいと感じている自分がいる。

 

なぜ、そこで感情そのものにダメ出しするんだろうね。

 

感情って、あくまで「反応」なんだよね。

 

怒りが出るなら、怒りが起こるような「葛藤」に直面している。

恐れが出るなら、恐れが出るような「葛藤」に直面している。

悲しみが出るなら、悲しみが出るような「葛藤」に直面している。

 

何と何が葛藤しているか。

 

肉体を持った自分と、霊魂そのものの自分が「葛藤」している。

 

 

 

それではどうするか。

 

まずは、肉体主体の自分は感情を通じて、どうしたいのかを知る。

 

そのあとに、霊魂主体の自分は感情を通じて、どうしたいのかを知る。

 

そうすることで、相反する「思考」を持っていることを知る。

 

 

そうそう、あくまで2人(複数)の自分が不調和を起こしているサインを、

感情を通して知らせてくれたということ。

 

ネガティブじゃないフリをする。

ポジティブを演じてネガティブを相殺しようとする。

 

それって、自分からのサインを無視することになる。

だからこそ、ほとぼりが冷めた頃に同じようなことが起こる。

 

 

じゃあ、どうするか。

 

肉体の自分と、霊魂の自分の「思考」のずれを解消していく。

 

 

 

肉体主体で生き続けたい人は、肉体を軸に「葛藤」を解消していく。

 

そして、

 

霊魂主体で生きることにシフトしていきたい人は、霊魂を主体に「葛藤」を解消していく。

 

折り合いをつけていくことではない気がする。これはあくまで仮説。

 

 

まぁ、霊魂主体で解消するのがベターなんだけど、

そこで自分に正直にならないとふたたび葛藤が湧き上がり元の木阿弥な気がするので、

あくまで「肉体主体」からのアプローチもありかなと思った。

意外とここでつまづく人が多い気がしたんで。

 

ネガティブな感情反応は、自分の内情に気づく最強のツールの一つ。

これを生かさない手はない。

 

情報の経路が一見多様化しているように感じるが、

実はより一層「偏る」方向に行っているような気がする。

 

たとえば、

 

ネットで興味あるテーマを検索したり、動画を見たりすると、

AIが自動的に同一の情報をピックアップして提供する。

まるであたかも自らが探し当てたように笑

そして、他の人の声を拾い上げることで、

一つの情報の確度を勝手に高めていく。

実は違った視点があったり、反対の声があることさえ気づかない。

 

自由なようで不自由。

 

テレビニュースを見ないという層が増えている。

私も実際その一人ではあるが、一つの経路として確保はしている。

とはいっても、どっぷりは浸らない。

それはネット動画や情報でも同じこと。

 

世の中はおかしいことだらけ。

それはたしかなことである。

なぜなら、そもそも人間っておかしいのが前提にあるから。

 

政治に嚙みついたり、そこから生まれる怒りなどを原動力に行動していくことは、

エネルギッシュではあるが、たどりつく先は無力感だけだったりする。

 

かといって、政治や世界情勢に全く無関心で、目先の幸せや喜びを追い求めるだけだと、

それこそこの世界を牛耳る支配層といわれる方々の思うつぼになってしまう。

 

どちらかの極に偏る癖を持ったままだと、

愛情の対である憎しみを持ったり、好きの対である嫌いを誘発しがちになる。

それが人間として生きる原動力になるというのが、

変わらずに反目するか迎合するかの世界を生み出し続けているんだろうな。

 

無関心であってはいけない。無関係になっていこう。

 

世の中の動き、人間の思考パターン、それらは知っておいた方が良い。

無関心だと知らずのうちにのまれていくからだ。

無意識のうちに「選択させられる」。

それをあたかも自ら選んでいるかのように。

これが最もコントロールしやすかったりする。

それこそ、自由なようで不自由。

 

世の中の動きを知ったうえで、感情をあらわにしない。

感情のおもむくまま選択しないように心がける。

反目せずに距離を置くように工夫をしていく。

 

これは人間としての最大の挑戦かもしれない。