私自身のことの大半は、見えない領域の自分が面倒見てくれる
「私」と認識している自分は、あくまで
- 生誕時から7歳ぐらいまで、両親らからインストールされた思考回路
- 両親の両家から脈々と受け継いできた思い込み
- 人間の集合意識に浸透している当たり前
私自身のことの大半は、見えない領域の自分が面倒見てくれる
「私」と認識している自分は、あくまで
今朝は何も書きたくないな。
目覚めのノートは書いたから、それで良しだな。
書くことは自分にとって大切なアクションだけど、
不特定多数に対して発信するというより、
ピンポイントで発信するのがいいんだろうな。
果たして、どういった人が私の発信する言葉に反応し、
それに呼応した言葉を返してくれるかだろうな。
うぅん、自分自身を整えていくことだろうな。
そうじゃないと、発している文章に説得力ないし、
私自身も気乗りしなくなってくるんだよな。
そうそう、誰に対してより、自分に対して噓つけないのよね。
もう働かなくても生きていける
そう思い込むようにしているけど、
人間だもの…やはり悲観的なイメージも湧いてくる。
人間社会は主導権争い。
お金にしろパートナーにしろ地位にしろ「有限」を奪い合う。
「1億円がほしい」と望む引き寄せの法則実践者のうち、
実際に1億円を手にした人たちっておそらく2割程度だろう。
だって、誰かが1億円を手にするということは、
そのぶん合算で1億円減っているところがあるということだから。
もちろん、正確にはお金はつくられているし、
単純計算通りにはいかないだろうが、
お金を手にする人がいるっていうことは、
そのぶん失っている人もいるということだ。
残念ながら、人間社会を本拠地とする限り、
いかに主導権を握りエネルギーを自分のところに集約させていくかが、
生き抜く術になってしまっている。
もしくは、エネルギーを枯渇しないように守り切るか。
私は幼少の頃から、そうした社会の成り立ちに違和感を持ちながら、
主導権争いから一歩引いたスタンスをとるようにしてきた気がする。
それはいまでも変わらない。
奪い取るなら奪い取られた方がまし。
被害者気取りをして何とか自分を保っていったことがあるかもしれない。
ただ、そうした固定概念を持ち続けたことで、
会社や学校ではぐったり疲れて、
何人もの女性が消えていったり、
自分を変えるためのメソッドに魅了されつつ散財していった。
あぁ、でもそのおかげで、
糸口が見えてきた。
おそらく「生きづらい」初期設定をしたからこそ、
見えてきたのだろう。
そして、最も大切だったのは、
諦めずに自己探求を続けてきたこと。
もう私は大丈夫。
だって、私だから。