人間って興味深いよなって、しみじみ。
安定を求めながら退屈を恐れる。
刺激を求めながら不安定を恐れる。
安定に落ち着いたらふたたび刺激を求める。
こうした矛盾した思考をシーソーのように使い分けながら、
生きる原動力を生み出しながら、
ただ死に向かいつつ生き続けているのかもしれない。
結局、人間にとって避けられないのは「変化」である。
とはいえ、退屈を解消する「刺激」にしろ、
不安定を落ち着かせる「安定」にしろ、
時代によってアプローチの仕方は「変化」しているよな。
厄介だなぁと思うのは、
「刺激」の材料は身近なところでゴロゴロ転がっている。
やはり、スマホ登場が大きいんだろうな。
簡単に「刺激」が手に入れられるが、
「刺激」につきものの「リスク」がない。
「リスク」がないから「安心」である。
えっ、スマホって「安心」であり「刺激的」なんだな。
だからこそ、やめられないんだろうな。
自由人の私にとっては、まさに日常のなかで最も接することが多い存在である笑
昨日、久々に都内に出かけた。
まぁ、都心に出ると翌朝はたいてい寝坊っぽくなる。
今朝もふだんより1時間遅れて目覚めた。
都内へ向かう電車に乗っていると、
当たり前のように9割以上の人がスマホとにらめっこしている。
カップルだろうが何人かのグループだろうが、
視線はスマホ画面に向かっている。
簡単に「安心」して「刺激」を得られるスマホ。
でも、その「安心」ってどこから来る?
そもそも「安心」なの?
安心な環境で得られる「刺激」って何?
安心という名のとらわれ。いわゆる「依存」。
簡単に刺激を得られるうまみを知った人間たちは、
それをいとも簡単に手放せない。