私が、奇跡のコースのレッスンを

始めた時期は、

シングルマザーで、生活に困っていた為、

本当に怖れでいっぱいだった。


この幻想と言われている世界を

どう生きたら良いのか、

その思いのみで

奇跡のコースを学び出したように思う。


幻想と、言われても

どうしたら良いの?と思っていた。


どちらかというと、

目の前の厳しく困難な生活から、

どのように抜け出したら

よいのかをコントロールする、

回避方法を求めていたように思う。



その求め方は、

奇跡のコースを学んでいくうちに、

大きく変化してきた。


自分のたててきた人生の計画が、

いかに

不毛だったかという事を顧みて、

神の救済計画というものに、

こころを開くことが、

何を及ぼすのかが、

ほんの少しずつ実感でき、

その取り組みも変わってきた。


だが、そうした

おぼろげな実感だったものが、

確信のように思えることもあった。


2017年の3月の出来事は、

奇跡のコースが、本当に本当に

神の救済計画なのだなと、

思考や論理ではない部分で、

大きく感化された出来事でもあった。

ある朝、

ワークブックレッスンを

何時ものように始めた途端、

自己が抜け落ちた。


言葉にすると、

どこまでも無理があるのだが

「人生をコントロールしている

個人的な行為者は居なかったのだ。」


これにはビックリした。

エゴは、本当に錯覚で、

煙幕のようなものだったのだ。

こころに深い深い

やすらぎが拡がっていった。


『あらゆる事象は、

全体性での起こりであり、

私は、

海のひとつの波に過ぎなかった。』


『過去に何かを達成した事も

身を切られるように

後悔した事も全体性での

流れでの事象に過ぎなかった。』


この感覚は、暫く続き、

今もあるが、

元に戻ってしまう事もある。


私の場合、母が入院したりして、

体調が日々変化する中、

コロナ過で直接様態が見れなかったり、

そうした家族間の諸々があるなどの

条件付けで、戻ってしまうのだ。


葛藤する自己のあの

感覚が戻ってくる事がある。

まだまだ、条件付けとして、

保持しているものがあるんだと思う。
しかし、

そうしたことを繰り返しながら、

少しずつ、目覚めは、深まっていくそうで、

そうした過程をディープニングというらしい。

有難いなぁと思う。

神様どうもありがとうございます。