「もしかしたら

この人じゃ無いのかもしれない。」


そう感じながら誰かと生きる人生は、


凄く辛いと私は、思うのですグラサン



だけども、


だけどもね、


こういった思いが湧く時、


視点をちょっと変え、


大切なに寄り添ってあげると、


良いなと思う。



「もしかしたら、
こんな私じゃないのかも
しれない?」と、いう
スピリットからの
呼び掛けを
聞いているとは
言えないだろうか?


葛藤し、

無力さを感じている

これが本当の私?なのかしら?

平安だけど、退屈な日常、

此処から何も起きないように

感じている私。




離婚して、

再婚してみて思うのは、

私が従ったのは、


「この男じゃないのかもしれない。」と

いう呼び掛けでは無く、



「こんな私じゃ
ないのかもしれない。」

この呼び掛けに


従っだんだなと思うんですよねグラサン




男性と付き合っていて、


「この人と結婚して


本当に大丈夫だろうか?」


「この人、こんな付き合いかたで、


私と結婚する気があるのだろうか?」


と、いう状況も、



「こんなふうに自分を表現できずに、


相手の一挙手一投足におびえ、


自分を小さく感じるなんて全然


自由じゃない。本当は、


こんな私じゃないんじゃない?」と、


とらえた時に変化は起きるし、


相手から別れ話が、来た場合も



実は、


こころの深いレベルで、
自分自身が、
決断していた事に
気が付く事もあるだろう。



本当の自由って、
いつでも
何処でも、誰と居ても
誰かのせいにせずに
自分が心地よくいられるように
こころを、整えられる事だと思う。


「この人さえ、変わってくれたら。」


そういう思いは、本来、私達は、


持ちたくないものだ。



また、スピリチュアルな学びを


している女性で、


自分が変われば、相手が変わるというのを


信じていろいろトライしているのに


変化が訪れず、


「私の何が悪いのだろうか?」という


ところに入り込んでしまうのも


とても苦しい。





「貴方に変わって欲しい」という思いは、


「今のままの、貴方では駄目なのよ。」と


いう相手へ攻撃の思いを放ってしまうから


パートナーから


怒りが返ってきてしまい、


状況は、変わりにくい。


人は、


他者から変えられ様とする事に


強く抵抗するのだ。



表面的には、


最悪な状況に思えていても、



大切な自分自身との

関係性を

見詰め直す時として、

取り組む時、

変化は起きる。


相手の気持ちにフォーカスするのでは無く、


私の思いに寄り添うと、


「もしかしたら、

私は、もっと自由に

変われるのかもしれない。」


そういう明るい


潔い私が、

現れ出すだろう。

こころは、常に

自由で在りたいなと

私は思っている。