旅の3日目

名残惜しく、後ろ髪引かれながらも、モスタルから首都のサラエボへ出発!

車で2時間の新緑の中、再び深い深い渓谷を走るドライブでした

 

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サラエボといえば、1984年冬のオリンピックを思い出します!

 

多民族の社会主義国家”ユーゴスラビア”が一つにまとまって開催したオリンピックのことは、数あるオリンピックの中でも、とても印象に残っています。残念ながらオリンピック招致への布石を打ったチトー大統領はすでに、1980年に亡くなりましたが、オリンピックは滞りなく行われたのですね。

 

平和の象徴のオリンピック開催地が、その数年後に民族紛争により激しい戦闘が繰り広げられることになるとは、誰が想像できたでしょうか?

 

サラエボのホテルは旧市街のイスラム建築のホテル

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ところが、天井から雨漏りがして、部屋を替わることとなりました。

幅の狭い細長い部屋で、ベッドもかなり離れてます。

面白い作りですが、慣れるとなかなか快適でした。

(これだけ離れていれば、イビキも気になりませんね!)

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宿のすぐそばの橋が、オーストリアのフェルディナンド二世がサラエボを訪問した際暗殺された場所

 

 いわゆる”サラエボ事件”の舞台になった橋を渡りますimage

雨が結構続いたようで、川の水も赤み帯びた茶色に変化していました。

 

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★こちらが晴れ渡った翌朝の風景

 

歴史の教科書でしか知らなかかった橋を実際に渡ると、急にその史実にリアル感が増します・・

この事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発することになる重要な歴史的な出来事

 

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橋を渡ったコーナーには、サラエボ事件に関する博物館がありました。

 

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博物館の外壁には、オーストリア皇太子ご夫妻が訪問された時の写真などが飾られていました。

 

 

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石に刻まれた記念碑

ここで1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国のフランツフェルディナンドと彼の妻がGAVRILO PRINCIPにより殺害されたことが記されています

 

 

夜はサラエボの旧市街のイスラム地区をそぞろ歩き

ここは”バシュチャルシャ”と呼ばれ、オスマン帝国統治下の16世紀に,アラブのスークをモデルとし、オスマントルコ様式に設計された商業地区

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 歩いてるだけで楽しい通り😀

 

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天井の低い建物が軒を連ね、とっても素敵な雰囲気。

瓦屋根の建物もあり、まるで”江戸”の街に迷い込んだような不思議な感覚になりました

 

 

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イスラム風の甘いお菓子

 

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右の建造物がサラエボのランドマークの1つ木造の”セビリ”

ここは独特の形状をした水飲み場で”バシュチャルシヤ”の中央に位置しています。

 

 

そぞろ歩きの途中、多くの人々が入っていったモスクがこちら

ガジ・フスレヴ=ベグ・モスク

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中に入りきれない人々が、モスクの外でお祈りを捧げていました

 

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モスタル同様、サラエボのモスクでも、若者から年寄りまで信仰深い方が多く、特に若い方が多かったのも、ちょっと驚きです。

 

 

小さなカフェに入って、ボスニアンコーヒーを頂きました

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優しい味で、病みつきになりそうなコーヒーです

若い男性が一人で切り盛りしている小さなお店ですが、お店の内装がとってもユニーク。

靴の型がいっぱいだし、テーブルにも靴のデザインが施されていたり、メニューも靴型でした

若いオーナーに聞いてみると、おじいさんが靴屋さんだったらしいです。その思い出を残しながらカフェを始めたのね!

 

 

もう一つ見ておきたかったのがこちら

 

”永遠の炎”

 

サラエボでの第二次世界大戦の軍人および民間人の犠牲者への記念碑です。

この記念碑は、1946 年 4 月 6 日、ドイツの占領からサラエボが解放されて 1 周年を記念して建てられました。
市の中心部、マルサラ ティト通りとフェルハディヤ通りの間にあります。

この火は絶えることなく燃え続けているとのことでしたが、ボスニア紛争時、サラエボ包囲戦の間は都市に燃料がなかったため、記念碑の炎は消えたそうです。

その後はずっと燃え続けている大切な炎
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街の舗装道路でふと見かける血がとびちったようなマークがこちら↓

”サラエボローズ”と呼ばれています。

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1992年から1996年まで続いたサラエボ包囲戦の間、街は毎日砲撃されました。”サラエボローズ”とは、砲撃による死者が出た爆発の跡に赤い樹脂を埋めたもので、それが、まるで薔薇の花が散る様に似ていることからそう呼ばれています。

平和の戻った穏やかな街にあっても忘れてはならない戦争の傷跡です。

 

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あまり写真には収めませんでしたが、この家のように、街の建物にはかなりの確率で、砲弾の跡が見受けられます。

そのままにしてある壁もあれば、コンクリートでそこを埋めている建物もあり、どれだけの被害がこの街を襲ったのか、想像を絶します。

 

 

ベオグラードに向かう朝、この旅で初めて雲ひとつない快晴となり少しだけ散歩しました

 

サラエボ事件の橋のそばに面白そうな場所がありました

セルビア出身の天才発明家”ニコラテスラ”の像のあるパブ

”Tesla Pub"

中を覗いたらとてもおしゃれな雰囲気でした

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この街には立派はカソリックの大聖堂もあります

Katedrala Srca Isusova(イエスの聖心大聖堂)

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1996年と2003年にはローマ教皇ヨハネパウロ二世も訪れたそうで、記念の像が正面広場にあります

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ここはボスニア最大の大聖堂で、美しいステンドグラスとアーチ上の天井が素晴らしい


でも、信者さんは極端に少なかったです

 平日の朝だからかもしれませんが。

 

夜にそぞろ歩きをした旧市街のイスラム地区の通り、朝はどこにでもある通りに見えるので、ここは絶対夜に訪れたいですね。

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大勢のモスリムがお祈りを捧げていたモスクの朝は、床の絨毯をお日様に干すことから始まるようです。

 

あ、いま気づいたのですが、イスラムの国々でクオリティーの高い絨毯が伝統的に作られてきた理由は、お祈りでひざまづく回数が多いからなのかもしれませんね。あくまでも私の思い込みですが(笑)

 

最後に食べ物の話を少し・・

今回の旅で気を付けていたのが食事

オーストリアでの断食明けだったので、サラエボでは初日はベジのお店へ

”Kasuzo"

ご主人はベジの本も出されている方でしたが、断食明けの私には塩がちょっと効きすぎました。

日本的な前菜というメニューがあり、それを頼んでみたら出てきたのがこちら

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とても前菜とは思えないボリューム

 

メインのおすすめを伺ったら、オーナー手作りのセイタン(小麦ベースのタンパク質でお肉の代わりのようなもの)のお料理とのことで、こちらをオーダー

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う〜ん、こちらも美味しかったけど、味が濃くて、途中でサラダを追加しました(笑)

 

 

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ホテルの朝食はイスラム風?

小さなお皿にさまざまなものが並べられていて、どれもとても美味しかったです。

 

 

2日目はホテルに紹介され

”The singing Nettle"

このお店、昨日のお店と目と鼻の先でしたが、雰囲気はこちらの方がよかったです。ベジのお料理も、お魚もお肉のお料理もあり、とっても美味しかった

お店の名前から、ネトル(いらくさ)を主に使うお店のようでした

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★右のスープがイラクサのスープ これが絶品、塩加減も絶妙でした

左のサラダはりんごと大根と胡桃のサラダ。家でも作ってみたくなるお味

 

なお、メインのお料理写真を撮り忘れました。

お肉の煮込みとカラマリ(イカ)料理

 

主人はお肉の煮込みを美味しそうに食べてましたが、私は匂いが気になってダメでした。イカ料理を追加で注文したら、ギリシャで食べたイカ料理よりずっと美味しくてびっくり!内陸のサラエボでこんなに美味しいイカに出会えるとは!写真が無くてほんと残念。

 

デザートのリンゴのケーキは甘すぎで、オーストリアのリンゴのパイの方が好きだなあ・・。

 

サラエボの街のご紹介は以上です。

サラエボには2泊しましたが、ここにきた理由の一つ古いピラミッドを見学してくるというミッションの話は次の投稿で!

 

 

今日も最後までお付き合いありがとうございました。