重くてすいません・・・。 | きららの心理

きららの心理

アダルトチルドレン専門カウンセラー
心の在り方について綴っています

今日はちょっと辛口で、重い記事になるかと思います。

早速ですが、人はいつか死にます (いきなり重くてごめんなさい)
それを分かってすべての人は生きています。

いずれ死ぬことが分かっているのにどうして生きることが出来るのでしょうか?
死んでも (魂?) は残り、意識を持って行き続けることが出来るのでしょうか?
輪廻転生があり、何度も人は生まれ変われるのでしょうか?
天国があり、そこでは楽しく暮らせるのでしょうか?
悪いことをした人はやっぱり地獄に行くのでしょうか?
死後の世界があるのでしょうか?

この答えは死んでみないと分かりませんね。
(死んでも分からないかも・・・)

私個人としては、死んだら 「無」 になると思っています。
心臓が止まり、意識は無くなります。

人は生まれた時から、死に向かって進んでいるのです。
それは当然の事実です。
健康で普通の生活をしていて、何の疑問も持たずに受け入れています。

では、なぜ人は死に向かって生きられるのでしょうか?
なぜ、受け入れることが出来るのでしょうか?

普段、生活をしていてこんなことは考えませんね。
忘れています。

あまり死に向かって生きているという考え方はしませんよね。
死に向かって生きているなんて意識も実感もないのです。
だから、生きて行けるのです。

死ぬために生まれて来たのではないから・・・。

「死んだ方がまし」 「生きていても何もない」 「生きていることが苦しいから死にたい」
生きているとそんなことも考えます。

生きていることが苦しいと思えば、苦しい意識しかなくなります。
未来は真っ暗で、本当につらいことだからけなのでしょうか?

誰も未来に行ったことがないので分かりませんね。

先の未来を暗くしているのは間違いなく自分自身です。
悩みの大きい、小さいは関係ありません。
ポジティブだろうとネガティブだろうと関係ないのです。
自信があるとかないとか関係ないのです。
成功しているかどうかも関係ありません。
他人の評価やどう思われるかは関係ないのです。

自分の未来が真っ暗だと思っているのは自分自身だけ。


自分を見捨てている人は世間のせいにしたり、親の思惑どおりに従い、
大人になっても従い続けては、不満を抱え続けます。
不満や愚痴を言い続ける人は成長出来ない人です。
不満や愚痴を言ってはいけないのではなく、言い続けてもその先には何もないからです。

自己嫌悪や自責の念に駆られて苦しむ人の方が、とても人間らしいと思います。
何よりもそういう人は成長することが可能です。

人はやってはいけないということを分かってやってしまいます。
人は間違いを犯すのです。
法律に触れると分かっていても止めませんし、法律に触れていなくても
明らかに間違っていると思うことをします。

人は生まれた時から、良い意味でも悪い意味でも貪欲なのです。
そして、利己的です。

だから、完璧を求めるのです。
完璧を求める代償は苦しみです。
人にも自分にも完璧を求めても苦しむだけなのです。

そもそも死ぬということは、完璧ではないということです。
完璧とは100%であり、失敗することも無ければ、間違いもありません。

人は不完全なのだから、それを受け入れるしかないのです。
死を当たり前に受け入れているのと同じように。

人は自分以上にも自分以下にもなれないのです。

限りある命をどう生きるかは自分だけに与えられた選択です。
そして、どう生きるかは自分しか知り得ることが出来ないのです。