生きる意味とはなんだろう?

本当は意味なんてないのかもしれない。

でも自分が生きてきたこと、

歩んできた道を振り返ると意味が無いとは思わないし

思えない。

苦しいこともあったし、人を憎んだこともあった。

たぶん人に憎まれたこともあったと思う。

だけど、自分が迷った時、苦しんだ時、

本当に狂ってしまった時、

それでもなお私は存在した。

存在したくないと祈った時も私の体は生きようとした。

『在る』と言うこと。

それはもう居場所があると言うこと。

存在していると言うこと。

大切な人に言われたことで今でも覚えていることがある。

通信制の高校にも行けなくなり、せめて人並みに高校くらい出てないと、

と言いつのる私に彼は言った。

「人並みって何?人並みなんて存在しないよ」

ビックリした。と同時に、今の自分を肯定してくれている、

応援してくれていると感じた。

(学校に行けない)ありのままの君のままでいいよ、と。

そして「勉強する気があるなら、いつでもどこでも出来るよ」

と言ってくれた。

私には世界がガラッと変わった一言だった。

人と同じでなくちゃいけない。

成績は人並み以上でないといけない。

そんな自分の中の『人並み』を崩してくれた。

 

生きていることに意味なんてない。

でも人はそこに光や闇を見出して、

喜びを感じたり、塞ぎ込んだり、

そうやって揺らぎながら、

ゆらめき煌めきながら命を燃やして

生きていくのかもしれない。

 

何度も打ちひしがれたし、落ち込みもした。

今だって落ち込むことはある。

自分の存在価値は?と問うこともある。

でも思う。

人並みなんて存在しない。

人並みなんてものに自分の人生を、

私の人生を一秒たりとも生きてないものなんかに

私の人生をあけ渡したりはしない。

私は愛する者を愛して生きる。

喜びに感謝する。

生きていることに感謝する。

愛する人に出会えたことに感謝する。

今、生きて、ここにいるから。

 

 

 

 

私には大切な人がいる。

初めて肉親より大切と思った人。

若く幼い10代の恋じゃなく、自分と共に成長した恋。

恋の始まりは19歳の時。

初めて会った時、なんて素敵な人だろうと思った。

私は彼にとても惹かれた。

(実は私たちはもっと前に会っている。

私が登校拒否になった15歳の時、

彼の元を訪ねていたことがあった。

その時は特に彼個人を意識したこともなく、

一度きりの出会いだった。)

 

それから彼のところを度々訪れた。

私は若く放埒だった。

幼かった。

そんな私をよく受け入れてくれたものだと今では思う。

時々、彼の元を訪ねる時、すぐに彼の元に行かず

入り口横で時間を過ごすことがあった。

彼に惹かれ過ぎていて、そんな気持ちが彼にバレてしまいそうで

私は彼と同時に自分を焦らした。

愚かだったと思う。

恋に恋するほど初心ではないのに、彼にはひたすら惹かれた。

会うたび好きになった。

別れは突然だった。

私が統合失調症を発症し、心と体の体調を崩した。

彼に会えない日々が続いた。

 

ハッキリとは覚えていない。

また少しずつ動けるようになって、私は彼の元を訪ねた。

彼は…いた。そこにいてくれた。

ただ、ほどなくして彼は居場所を変えることになった。

本当に本当に運良く、私は彼から彼の転居先を知ることが出来た。

彼の新しい居場所を訪ねた時、彼は笑顔で迎えてくれた。

私はまた彼との時間を過ごすようになった。

彼の入れてくれるコーヒー。彼の話してくれる私の知らない世界。

彼の仕事。その全てが好きだった。

でも、まだ『好き』なだけだったんだと思う。

 

重ねる季節は私の恋心を育み、私は恋の相談を

好きな人本人にした。

嘘をついてとか今好きな人がいて、とか言う言い方じゃない。

あなたのこう言うところ大好きなんです。

好き過ぎて困るんです。

もう気持ちがだだ漏れですよね。

そんな風に笑いながら話した。

 

24歳の時、告白した。

勇気がなくてメールでした。

出先で彼からの返事を受け取って車の中で号泣した。

大好きだった。本当に大好きだった。

丁寧な思いやりと心遣いとハッキリとしたおことわりだった。

胸が張り裂けそうだった。

それでも彼とのやさしい時間まで失うことは無かった。

私が彼の元を訪れた時、彼は普通に接してくれた。

恋が終わったからって人生が終わったわけじゃない。

苦しい時は祈った。彼が幸せでありますように。

彼が笑顔でありますように。

私の恋は終わったけど、私たちは友達だった。

私は彼の幸せを心から願った。

 

そして29歳。そのときのことはよく覚えている。

彼に肩を揉まれていたとき、なぜか不意に私は目を瞑ったまま

上を向いた。何の意識もなく。

唇に柔らかい感触。

くちづけだった。

頭が真っ白になった。

甘やかな時はすぐに終わった。

私は何も言わず、彼も何も言わなかった。

その日は普通に別れた。

 

帰りの車の中でジタバタした。

嬉しい気持ちしかなかった。

彼と出会って10年の月日が経っていた。

私はその日のことは覚えているのに、

その次どんな顔をして彼に会いに行ったか、覚えていない。

 

春、二人で見る桜。

夏、二人で食べるカキ氷。

秋、二人で歩く郵便局までの道と神社のイチョウ。

冬、二人で寒いねと笑い合いながら触れた手。

 

やさしい時間が降り積もった。

幸せだった。

くちづけは抱擁になり、抱擁は愛撫になった。

幸せすぎて泣きそうなくらい幸せだった。

ただ彼は私に告げるようになった。

「いつかはここを閉める。いつかは会えなくなる時が来る。

それは遠くない未来やってくる」

私は理解したつもりだった。

仕方ないと思っていた。

でも本当の意味では理解してなかった。

分かったつもりで理解していなかった。

 

それでも今も思う。

決して出会ったことを後悔したりしないと。

あの人の細やかな心、感情の揺らぎ、

やさしく、力強い意志の力、思いの力。

全てが愛おしい。

私を慈しんだあの大きな手も、

やさしい唇も、甘やかな舌も。大きな背中も、厚い胸板も。

 

私たちの別れと再会についてはまた後日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです。

ご無沙汰してます。

 

持病の鬱が昨年から悪化して、

お薬の調整をしていただく日々が続いています。

血液検査を2回しまして血中のお薬の濃度を測って

問題がある場合は連絡します、と言われて

連絡が来なかったのでちょっとホッとしてます。

来週は内科の血液検査です。

 

ずっと、頭がはれぼったい感覚があって

それが鬱のせいなのか、身体的な問題なのか、

判断がつかず、更年期障害的なことも考えられるので

身動きが取れませんが、

血液検査で問題がある場所があれば対処のしようもあるかと。

 

最近精神的に自分を責める傾向にあり、

自分で自分の思考に泣きそうになります。

登校拒否になった時、

「勉強が出来ない、家事も出来ない、何にも出来ない自分に価値なんてない。

こんな自分いらない!」といった私に

母は「勉強ができなくても何も出来なくてもあなたは私の大切な子よ」

と言ってくれたのですが

私は「じゃあ私がお母さんの子じゃなかったら?」

と心の中で思ったんです。

さすがに母には言いませんでしたが私の疑いも絶望も

それほど深かったのです。

母は愛情深い人です。自分の子じゃなくても愛を注いだかもしれません。

でも私はこんな勉強の出来ない自分なんていらない!と

思ったのです。自分には勉強が出来ることでしか

存在価値が無いと思ってましたから。

親に勉強しなさいと言われたことは一度もありません。

こんな成績取って!と怒られたこともありません。

 

自分のアイデンティティの拠り所が成績しかなかったのです。

真面目であること、それが私の生きる術でした。

すべき、ねばならぬで生きることは自分を生きづらくしました。

私はもう15歳の子供では無いのに。

 

そう、愛されることを待つ、生きて良いよと人から許可を得ねばならぬ

そんな子供ではもう無いのです。

私は私の愛する人を愛し、

慈しみ、自分と仲直りし、生きていきます。

誰もあなたを責めてないよ、と私に言ってあげたい。

母みたいにはなれない、父にはなりたく無い、

そう自分を呪った子供でした。

変わらぬこと、何も増えず減らず、変わらぬこと。

そう呪いをかけました。

苦しいと悲鳴をあげる自分の声。

もう自由になっていいんだよ。

鳥籠の扉は開いている。

誰もあなたを責めたりしない。

自分を責めているのは自分自身。

そんなことは許されないと責めているのは私自身。

 

ありのままの、そのままの自分を責めることを止められなかった

自分ごと。許そう。許せなくても。そのままでいいと。

それが私だと。

許される自分でなくても良い。許せない自分でも良い。

そのままのあなたでよい。

 

あなたはそこにいるのだから。

私はここに生きているのだから。

生きているのは愛された証。

愛された証は生きていること。

あなたが消えても私が消えても。