体調不良は相変わらずなのだが、

今日とある本が届いた

大切な方の探していた本で見つかったので

プレゼントするつもりで購入した。

事後報告になったが、大切な人に報告したら

ぜひ読んでみてください、と言ってくださったので

さっき届いた本を読ませていただいた。

なんか切なさと嬉しさとどうしょうもなさと

人生のごった煮みたいになった。

 

完璧な人間はいない。

皆どこか欠けていて、どこか出っ張っている。

上手く言えなかったり上手く伝えられなくて

すれ違ったりもするけど、

まずは飯を食おう。

美味いもんがあれば、それは”いつも“でも

“とくべつのいつも”だ。

生きるために食べる。食べるために生きる。

そこにはいつも物語がある。

 

 

(『深夜食堂』安倍夜郎)

少しだけ、ほんの少し、落ち着いた。

編み物をしているのだがそれがいいらしい。

手を動かしていると集中するし、

私にとっての作業療法と言っていいかもしれない。

 

今日母がボランティアに行き、

不安な気持ちになったが、

母の荷物が置いてある部屋を少し片付け

やはり心が落ち着いた。

 

自分の心と向き合うことも大切だが、

心を整える訓練をすることが必要なのかもしれない。

何か一つ片付ける。

ゴミを一つ捨てる。

小さな一歩を小さすぎると見過ごすのではなく、

それも一歩と認める。

 

いっぱい頑張るんじゃなく、

まず一歩、ちょっと頑張ってみる。

疲れたら休んでいい。

そう思えるだけ、元気になっているのかもしれない。

また凹むこともしんどいこともあると思う。

でもずっと、そうじゃない。

大丈夫。だいじょうぶ。

少しだけ元気出た。

 

 

お腹が減っていても食べる気がしない。

自分でセーブしてしまう。

できてしまうと言うべきか。

食事を母にして欲しくて、

でもきっとそれは余計なお世話で、

母は十分に食べている。

私が料理があまり上手くないので色々作れず、

偏った食事になっている気がする。

栄養ドリンクなどが一本残っていると

「母に」と思い自分で飲むのをやめてしまう。

自分の中で心理的に余裕が無くて、

それは私自身の経済的余裕のなさでもあるのだけど、

精神的に自分を追い詰めても

何も良いことはないのに、

自分を無意識のうちに追い詰めている。

 

あとで母に「栄養ドリンクある?」と言われた時、

ない、と言うのが嫌なのだ。

 

今朝夢を見た。小学生の自分が塾に通っている。

先生に順番に小テストに◯をつけてもらって返してもらう。

自分の番になり、前の子より悪いと知らされる。

すごく屈辱的だった。

すごく悔しかったし悲しかった。

こんなことは滅多になかったし、小学生の頃は本当に成績が良かったので

ああ、成績の悪い子はこんな嫌な気分だったんだ、

と思い知らされた。

誰だって自分に◯をつけられたい。

自分自身でも◯をつけてあげたい。

今の私は自分に×ばかりつけている。

きちんとダイエットできていることにも

否定的だし(病気じゃないか?とか思っている)

スマホのアプリが勝手に課金しないか心配で削除したり。

ともかく不安の先取りをしている。

もう少し、心を緩めて、電車の中で遠くの夜景を見るように、

建物の灯りを見ながら揺られるように、

心穏やかでありたい。

何かが不安なのではなく、

不安だから不安なのだと思う。

自分でも不安探しをしていると思う。

いいとこ探したほうがハッピーなのに。

 

持ってないものを数え、

今手にしている幸せの数を数えない。

そう言うところに私の不安はあるのかもしれない。

 

少し休もう。