最近読んだ本から
ちょっと考えさせられたところを抜粋
蓮見圭一「水曜の朝、午前三時」
92ページから
私はあなたに夢中だった。夢中にならずにいられなかった。あなたが生まれてきた時からずっと夢中だったけれど、こんなことがあるたびに、ますますあなたのことが好きになっていった。あの小学校を受験させてよかった。結果的に落ちてしまったけれど、それによって泣いたり笑ったりすることができたのだから。あなたと一緒なら、私は失敗さえも楽しむことができた。あなたのおかげで、そう、私は失敗を楽しめるほどに成長することができたのです。
219ページから
・・・その時は気つかなかったけれど、きっと私は、「そのほうが楽なら」という夫の言葉にひっかかっていたのだと思う。
私は楽をしたかったのだろうか?そうなのかもしれない。でも、それは私の本意ではなかった。少なくとも、いまの私の本意ではなかった。私だって、何も敢えて苦しみたいなんて思わない。そんなのはまっぴらごめんだった。せれでいて楽をするという言葉に抵抗を覚えてしまうのは、自分が過ちを犯したのはいつもそうした時だったという気がしたからです。
色々なことに考えを巡らせてきたつもりでいて、いざという時、私はいつも成り行きまかせにしてきた。たまに努力を払ったとしても、たいていはご褒美が目当てだったし、若い頃は無益なことに身をやつしている人を腹の中で笑いもしていた。でも、何の褒美もほしくない年になったいま、私の中に残っているのは楽をしすぎてしまったという思いなのです。目先の苦しみから逃れるために、その都度、私は色々なことを棚上げにしてきた。でもそのことが、いまになって何よりも私を苦しめているのです。
どんなお話かというと、45歳の若さで逝った女性が、娘のために遺した4巻のテープに語られていた恋物語、という小説ですが、色々胸にささる文章がありました。


