前から気になっていて、書こうか書くまいか迷っていたのですが…。
何だかしっくり来ないので、書くことにしました。
なお、以下の文章はカフェオレ(haruo)さんへの批判のつもりで書いたのではありません。
この文章は、私が彼の記事を読んだ個人的な感想であることをお断りしておきます。
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「たかが献金ネタだよ」
このタイトルを見た時、少し違和感を感じました。
私は元統一教会員なのですが、
自分がまだ教会員だったとしてこの文章を読んだら、
気持ちが萎える、と言いますか、
複雑な気持ちになったのではないかと思います。
「たかが」は、「問題にするほどの価値のない」という意味だと思います。
「たかが献金」は、「献金」というものを軽く見ている表現です。
献金している教会員は、献金のために様々なものを犠牲にして、
神様のために、ゴフボサマの為にと
命がけで戦っているものと思うのです。
自分のものは勿論、子供の為に使いたいお金も使えず…、
知人や親戚に借金したり、返す予定が立たないにも関わらずローンを組んだり…と。
haruoさんは、数年前に「民事再生法」によって債務整理されたようなので、
やはり献金の為に大きな借金をされたことと思います。
霊感紙商法が叩かれ、高額商品を売ることが困難になってきた今、
一人一人に掛かってくる献金の重圧は大きいものとなっていることでしょう。
献金の為に借金……私もやったことがあります。
また、キャラバンのFの前線では、本当に 「血を吐くような」 という例えがぴったりの思いも経験しました。
これは大袈裟な表現ではなく、経験者の皆さま方は同じような気持ちを経験されていると思います。
最前線では 「命がけ」 ですから。。。
だから、
もし私が教会員だったら、
私にとって「献金」は、自分の出来る限りの心情の結実を神様とゴフボサマに捧げるものであり、
サタン世界で命がけで戦って取り戻してきた大切なものと感じると思います。
「献金」は自分の命を削ったもののようにも感じます。
だからこそ貴いのかもしれません。
元教会員であるにもかかわらず、自分の思いを綴らせて頂きました。
失礼致しました。
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最後までお読み頂き、感謝申し上げます。