何度読んでも、本気が伝わってくるなって思います。
幡野さんが好きなだけです(笑)
で、タイトルの「なんで僕に聞くんだろう。」
読む前はそのまま、なんというのかな、「聞かれても、そんなの知らんわ!」って意味なのかな?なんて思っていたけれど、読んでみると多分そうじゃない気がします。
その話、本当は話したい人、話さなきゃいけない人が他にいるよね。
何でその人に話せないの?
そういう問いかけも含むような気がします。
以前ブログの記事にした、不登校の子のお母さんからの相談。
この本の「相談者は読まないほうがいい回答」がそれです。
↑途中までですけれど…。
多分ね、このお母さんが、「何よ!私の気持なんかわからないくせに!」って幡野さんの回答から目を背けたなら、それで試合終了なんですよね。
別に戦ってる訳じゃないし、「バスケがしたいです!」って話でもないんだけど。
(安西先生…)
ちょっと…いや、一瞬自分が崩れるぐらいの相当厳しい言葉なんだけど、本当にごもっともな回答。
ごもっともだって思って、体も心も痛むけど、どうにかしないといけないなと思うかどうかが別れ道になるようにも思います。
でも、こういうことを言ってくれる人、言える人って意外と少ないのかなぁ。
ちょっと前に上司が言ってまして。「世の中の8割以上は妥協と忖度で成り立っている」。
…それ、みんな気づいてるけど言っちゃダメなやつですよ(笑)
なんで幡野さんに聞くのか、の答えは本気で聞いて本気で答えてくれるからだと思うけど、本当は他に聞くべき人がいる。
相談を持ち掛けた人は「変えたい」と思っている人だと考えたとき、どうしても持ち掛けてきた人が努力することが増えてしまうけど、変えたいと思って聞いてきた人に言わないと、意味をなさないんだよなぁ…とも。
もし、変わりたい人が本当に何かを変えることができても、周りにいる人たちがやっぱり何の反応もない「変わりたくない人」たちだったら、そんなの無視したって良いし、なんなら排除していいよ。
…これ、思っていてもなかなか口には出せない気がします。
排除すること=悪って言われがちだから。
この本では、他の相談への答えで普通に言われていたけど。
本当はその、周りにいる変わりたくない人たちこそが、変わりたいと思う人を支えてくれたら良いけれど、なかなか…。
だけど、その人たちが「変わりたくない人たち」かどうかは、まだわからないかもしれない。
ただただ心配しているから否定的になっちゃって、すれ違っているだけなのかもしれないし。
(本当は、心配ならなおさら否定的になっちゃまずいんだけど…)
だから幡野さんに聞きたくなるのかもしれないなぁ。
「あなたの文章を読むと誠実さが伝わってくるから、そんなあなたの周りの人も誠実なはず。きっとあなたが本当に話したい人に言っても大丈夫だよ」みたいなこと(意訳も入っているけど)も言ってくれていて、素敵だなぁって思います。
相談の一つ一つは、自分には全く関係ないものも多いのに、何だろう、この感じ。
本の中でも「自分には関係ないのにドキッとしてしまう」という感想をもらうことが多いと書かれていました。
私もそう思います。
あかん、きれいごとに疲れているんだろうか。
よく、「共感してくれる人に話を聞いてもらいたい」ってのを聞くけど、それってつまり解決せずに私はぐるぐるしたいんです、ってことになっちゃうよねとも。
全否定されんのは私もヤダけど、共感だけではその殻の中でぐずぐずになりそう。
幡野さんの回答は、そのあたりが絶妙な気がします。
……回し者じゃありませんよ。