昨日の記事

 

赦し(forgive, perdonare)について(1)

 

の続きです。

 

 

「赦す」を意味する

英語やイタリア語の語源となった

ラテン語のperdonare

 

その意味である

 

「無条件に完全に与える、渡す」

 

という視点から

「赦す」ということを

わたしなりに考えて出てきたのが

 

赦しとは

全てを神様に無条件で完全に渡すこと

 

ここでいう全ては

昨日のブログにリストアップしました。

 

 

ではそれら全てを

どうやって

無条件で完全に神様に渡すのか?

 

perdonareの語源から

赦しについて考えてみて

初めて見えてきたことがあります。

 

わたしが実践してきた

聖書に書かれている教えの多くは

「赦し」につながっている

ということです。

 

そうした教えは、その気になれば

日常の中で実践可能なものであり

 

それらの教えを実践すると

全てを無条件で完全に

神様に渡すことになっていることに

気づかされました。

 

 

ということで

どうやって神様に渡すのかの答えは

 

聖書の教えを実践すること

 

です。

 

 

わたしが実践している教えを

いくつか例に挙げてみます:

 

◇聖書の教え:

怒ることがあっても、それによって罪を犯さないようにしなさい。

日が沈んでも怒ったままでいないようにしなさい。

 

わたしの実践:

怒りに任せた言動を取らないよう

マインドフルに怒りを感じる

感情の嵐が過ぎ去るのを待つ

=感情、恨みつらみ、批判的・攻撃的思考を完全に神様に渡す

 

 

◇聖書の教え:人を裁くな

 

わたしの実践:

裁くのはわたしの仕事ではなく

神様の仕事なのだから神様に任せる

そのことについて考えるのをやめる

=裁く権限を完全に神様に渡す

=相手を悪と決めつける自分の中の要素(出来事、言葉、傷、被害者意識)を完全に神様に渡す

 

 

◇聖書の教え:

自分で復讐しようとせず神の怒りに任せなさい。

「主は言われる『復讐はわたしのすること。

わたしが報復する』」

 

わたしの実践:

神様はわたしが知らないことも含めて

総てを見ているし、知っている。

相手が悔い改めるのか、痛い目にあうのかは

神様と相手との間にある問題。

「神様、あとは頼みます」

=報復の権限を完全に神様に渡す

=仕返し欲、恨みつらみ、批判的・攻撃的思考、期待、被害者意識を完全に神様に渡す

 

◇聖書の教え:

あなたを罵った者を祝福し、あなたを不当に扱った者のために祈りなさい

 

わたしの実践:

感情的に抗い難いものや起きた出来事を超えて教えを実践

=リストした全てを完全に神様に渡す

 

 

他にもまだありますが

上記の4つだけでも

昨日のブログにリストしたものを

完全に神様に渡せるよう

デザインされているように見えます。

 

そして

相手に向かっていたベクトルが

神様に向かうことで

 

掴んで離さなかった相手のことを

手放して神様に渡せる

ということになります。

 

 

教えの実践にはエゴ的な部分で

 

仕返しはしたいし

相手を完全な悪者にしたいし

というか完全な悪者だと思っているし

ひどく傷ついていたり

言葉が刺さったままだったりなので

 

すぐにできるようになったわけでは

ないのですが

 

実践と失敗を重ねていくうちに

ハードルが低くなっていき

 

それと同時に

心の平和がすぐ取り戻せるように

なっていきました。

 

これは教えを実践することで

知らず知らずのうちに行っていた

赦しの結果なのではないかな

と思うのです。

 

 

さらに聖書には

 

赦す者は赦される

 

と書かれているので

赦し、赦された結果

とも言えますね。

 

 

そうして赦していると

期待していなかった変化が

相手や状況に起こるように

なっていきました。

 

 

perdonareの語源から見た

赦しについて出てきたことは

実はもう1つあります。

 

それについては

明日、補足として書くことにしますね。

 

 

最後までお読みいただき

ありがとうございます。

 

一人でも多くの方が

いのちの幸せ

を感じて生きられますように。

 

 

かおり@いのちの幸せ