結局のところ「ノンバイナリー」の立場の可視化って… | Xジェンダーで二次元愛好者な私 ~性別二元論とシスジェンダー中心・異性愛前提主義への疑問~

Xジェンダーで二次元愛好者な私 ~性別二元論とシスジェンダー中心・異性愛前提主義への疑問~

当ブログでは自らのセクシュアリティの話を中心に社会における性の概念や二次元の話など、あらゆるテーマを扱います。なお、当ブログの内容はあくまで私一個人の意見や考えとして書いています。

いろいろと考えていて思ったことですが、結局のところ「マスキュリズム」における「女性」と「女性的」要素の排除、「異性愛前提主義」、「単性愛前提主義」、「シスジェンダー中心主義」、「性別二元論」、「有性愛前提主義」、「バイナリー前提主義」、「フェミニズム」における「男性」と「男性的」要素の排除、「異性愛前提主義」、「単性愛前提主義」、「シスジェンダー中心主義」、「性別二元論」、「有性愛前提主義」、「バイナリー前提主義」、「クィア理論」における「男性中心主義」、「AMAB中心主義」、「異性愛中心主義」、「単性愛中心主義」、「シスジェンダー中心主義」、「性別二元論」、「有性愛前提主義」、「バイナリー前提主義」、これら全てに対する見直しがなされない限りはこの社会において「ノンバイナリー」の立場が可視化されるようになることはないのではないかと、そのような気がします。今の「マスキュリズム」には「シスジェンダーで異性愛者の男性」を中心とした社会のあり方に合致した「男性」以外を当事者とはみなさない考えがあり、また今の「フェミニズム」には「シスジェンダーで異性愛者の女性」以外の立場を無視する考えがあり、さらに今の「クィア理論」には「異性愛者」と「同性愛者」の間における格差や「シスジェンダー」と「トランスジェンダー」の間における格差の存在には敏感になりながら「男性」と「女性」の間における格差や「AMAB」と「AFAB」の間における格差の存在についてはスルーしがちな風潮があります。これらのことが意味することは「マスキュリズム」の中にも「男性らしくない男性」と「男性ではないAMAB」を排除する考えがあるということ、「フェミニズム」の中にも「女性らしくない女性」と「女性ではないAFAB」を排除する考えがあるということ、「クィア理論」の中にも「女性」特有の不利益と「AFAB」特有の不利益の存在を否定する考えと「性別二元論」に沿わない「GSRM」に該当する人を排除する考えがあるということであり、この社会において「ノンバイナリー」の立場が可視化されるようになるためにはまずはこういった「マスキュリズム」と「フェミニズム」、「クィア理論」それぞれにおける考えの可視化をしていかなければならないのではないかと、そのように思います。

 

「性別」に関する問題や「性差別」に関する問題はある特定の方面からだけでなく、様々な角度から見る必要があると言うことができる問題であり、「ノンバイナリー」に関する問題も様々な角度から見る必要があると言うことができる問題です。しかし、今の一方通行的な物の見方が当たり前のようになってしまっている「マスキュリズム」、「フェミニズム」、「クィア理論」それぞれのあり方が変わらない限り「性別」に関する問題や「性差別」に関する問題に対する偏った物の見方がなくなることはないと言うことができ、またそれに伴い「ノンバイナリー」に関する問題が置き去りにされ続ける現状も続くことになってしまうと言うことができるため、まずは「マスキュリズム」、「フェミニズム」、「クィア理論」の全てにおける内部の排除の存在に目を向け、その問題の当事者であるにもかかわらずその問題の中で声を上げにくい立場に置かれてしまっている人の扱いに対する改善がなされるようにしていく必要があると思います。最初に挙げた「マスキュリズム」と「フェミニズム」、「クィア理論」それぞれにおける考えの問題は「性別二元論」に当てはまらないという人全てに関係のあるものであり、「ノンバイナリー」の当事者はこの記事の最初に挙げた「マスキュリズム」と「フェミニズム」、「クィア理論」それぞれにおける考えの問題全てを背負っている立場にあると言うことができる存在であるため、この点についてもっと注目が向けられるようになってほしいと、そのように私は思っています。