「トランスジェンダー」が生きやすい社会と「差別の放置」という名の差別をなくしていくこと | Xジェンダーで二次元愛好者な私 ~性別二元論とシスジェンダー中心・異性愛前提主義への疑問~

Xジェンダーで二次元愛好者な私 ~性別二元論とシスジェンダー中心・異性愛前提主義への疑問~

当ブログでは自らのセクシュアリティの話を中心に社会における性の概念や二次元の話など、あらゆるテーマを扱います。なお、当ブログの内容はあくまで私一個人の意見や考えとして書いています。

今日は「国際トランスジェンダー認知の日」です。そんな今日だからこそ、言いたいことが私にはあります。それは何かと言いますと、「トランスジェンダー」の当事者が生きやすい社会にしていくためには、この社会から「差別の放置」という名の差別をなくしていく必要があるということです。今の社会には「トランスジェンダー」の当事者の立場に沿った制度がほとんどありません。また、「トランスジェンダー」の当事者に対する憎悪犯罪を罰する法律や条例も今の社会にはありません。こういった今の社会の現状は、明らかに「トランスジェンダー」の当事者にとって生きにくいものとなっていると言うことができます。加えて、「トランスジェンダー」の当事者に対する差別発言は他のあらゆる種類の差別発言以上に放置されやすく、そういったことも「トランスジェンダー」の当事者をこの社会において生きにくい立場に置く原因となっていると、そのように言うことができます。

 

私は「トランスジェンダー」の当事者に対する差別が放置されがちになってしまっている社会の現状のことがもっと可視化されるようになってほしいと思っています。現在この社会において「トランスジェンダー」の当事者は「トランスジェンダー」の当事者に対する直接攻撃にあたる差別と、「トランスジェンダー」の当事者が直接的に受ける差別を放置する差別の二種類のタイプの差別に遭っています。「トランスジェンダー」の当事者に対する差別発言を放置することや「トランスジェンダー」の当事者を差別から守る法律や条例を制定しないこと、「トランスジェンダー」の当事者の存在を制度の中に存在しないものとして扱うことは、前述した二種類のタイプの「トランスジェンダー」の当事者に対する差別のうちの「トランスジェンダー」の当事者が直接的に受ける差別を放置する差別にあたるもので、この「トランスジェンダー」の当事者が直接的に受ける差別を放置する差別の存在が、この社会において「トランスジェンダー」の当事者を生きにくい立場に置いている原因となっているものだと言うことができるものです。差別発言や憎悪犯罪のような「トランスジェンダー」の当事者に対する直接攻撃にあたる差別が一向になくならないのも、この社会に「トランスジェンダー」の当事者が直接的に受ける差別を放置する差別の存在があるからであり、「トランスジェンダー」の当事者が直接的に受ける差別を放置する差別がなくならなければ、この社会から「トランスジェンダー」の当事者に対する直接攻撃にあたる差別がなくなることはないと言うことができます。そのため、私は「トランスジェンダー」の当事者が直接的に受ける差別を放置する差別の存在を可視化していく必要があると考えています。この社会において「差別を放置することもまた差別である」という認識が広まれば、「トランスジェンダー」の当事者に対するあらゆる差別はなくなっていき、「トランスジェンダー」の当事者にとって生きやすい社会になっていくと考えられるため、「トランスジェンダー」の当事者が直接的に受ける差別を放置する差別の存在の可視化は必ず行っていく必要があることだと、そのように私は考えています。