武芸十八般。おもしろい。
伝承って昔から大変だ。宗家とか。
眉兄さんの話とかも割と身近だし。
空手体術の指導はもう辞めたって言ってたな。
今日はちょっとその話。
加賀兵法深甚流(しんじんりゅう)剣法
新陰流や中条流など地元藩で馴染みのある剣法演武の機会に、伝承が途絶えたと聞いていた深甚流の使い手と名乗る者が現れる。
水鏡(みずかがみ)と呼ばれる秘剣奥義を巡って真意の調査を進めるも、伝承がすでに三派に分派していた。
一つは百姓一揆の技として伝承された天狗舞い。伝書を持つ小松の士般若半兵衛。黒脛巾衆の三之丞。
戦国時代の物語を読むと、武芸の嗜みとは、当時と現在とでは全く趣向が違うのだと痛感します。
個人的には、護身の目的として“天狗舞い”と名を変え、奥義を継承していた農民の立ち振る舞いが印象的でした。
また、スポーツ競技に近い伝承を見せた半兵衛の凄まじい修行の成果を感じるシーンは、正に現代武道だなと思います。
忍者好きには黒脛巾衆とかたまらんと思いますけど、時代背景的にも本当に忍者って使い捨ての側面が強くてゲンナリしますね・・・。
関口流柔術師弟日記
素手の武芸柔術家の才能と心のズレを描く師弟の悲劇。10歳の頃から関口流柔術師範が育て上げた虎次郎が、18歳になり門外の道場破りを繰り返すようになる。
驕り高ぶる虎次郎に説得を試みるのだが・・・。
これは皆さんはどう感じるだろうか。
礼儀礼節を知り、尊敬に値する恩師の実力をも超えたと思い込む弟子の怠慢に、どのように対処すべきか。
僕はまだその経験がないので、指導しつつ、自らも牙を研ぎ続ける必要も感じました。
常に、門下生の尊敬の象徴であり続けねなければならないのかなぁとも思います。
最近では、流派・会派の垣根を越えて交流する団体も増えていると感じます。お互いを高め合うにはお互いを尊重する事が前提ですが。
その反面、全く交流を(見学すらも)許さない団体もあります。道場破りが来たとでも思うのだろうか??
しかし、不幸なのは門下生です。自分の通っている道場が、武道が、流派が一番なのだと言う事はないと思うのです。
比べる対象が自分中心の基準ができて、初めて他を批評する事になります。ここに問題点があると思うのです。
私は、最強という単に強い弱いで比べる事はできないと思います。まず競技にはルールが必要です。
もちろん例に漏れず、自分も最強になりたいと思った事はあります。笑
でもこれ、若さゆえだったなとも思うのです。
井の中の蛙が自分の力を試したい。
まわりと切磋琢磨する環境があって、教えてくれる人がいて、喜んでくれる人がいたから今でも続いている。
感謝する気持ちが生まれて、自分の幸せに気付く事が出来れば、人に優しくなれると思うのです。
恐怖や不安、怒りや寂しさを見にまとって歩いていませんか?
私もまだまだ修行が足りませんが、護身のことについてはお手伝いできると思います。
共感して頂ける方達が増えるといいなぁ。