少し前から『源氏物語』を読んでいます。
もちろん、翻訳で。
今日、
光源氏の息子の夕霧
(葵の上との間の子)
の元服の場面を読んでいましたら、
『学問があってこその大和魂(やまとだましい)だ』(超意訳)
という意味の文章に突き当たり
非常に驚きました。
円地文子訳では
「大和魂」の漢字があてられ
与謝野晶子訳では
「日本魂」に
やまとだましい、とルビが降ってありました。
大和魂という言葉に出会ったのは、
漱石の『猫』の
「大和魂ああ、大和魂ああ」以来です。
明治時代以降の言葉かと
思っていましたが、
もちろん『源氏物語』の方が
千年早い。
平安時代の人の考える
「大和魂(やまとだましい)」って
どういうものだったのかな。
その言葉が、
意味を変えてかもしれないけれど
千年もの間、
消え去らず残ってきたのか
と思うと、
歴史の底力を
感じずにはいられません。
私は必ずしも『源氏物語』を
肯定的には読んでいないのですが、
今回、大和魂には
興味を惹かれました。
……あまりにも気になるので
新潮日本古典集成の『源氏物語』を紐解いてみました。
原文では、
大和魂と表記されていました。
学問は当時は儒学(政治学)
それに対して、大和魂は
わが国の実情に応じた
政治的判断、行政能力
だそうです。
「実情に合った政治的判断能力は
学問という下支えがあってこそ」
あるいは
「学問によって
判断能力は磨かれていくのだ」
のような意味かと思います。
なので、、、
突然話は変わりますが
高市さんには
政治的判断能力をもっと
磨いて欲しい。
武器輸出が国益に適うと
本気で思っているのだろうか。
あるいは、……
おもねっているのか。
多くの国民の願いはただひとつ。
武器輸出をしないで欲しい。
戦争しないで欲しい。
平和憲法は変えないで欲しい。
国家情報局なんていらない。
平和を心から望んでいるんです。