~ ワークショップ ひまわりの支援員の方のお話 ~
就労移行支援・就労継続支援B型の施設。利用者24名の内13名が現在避難所で生活しています。
地震が起きたのは、ちょうど送迎の準備をしている時で、警報も聞こえず大きな揺れの後、とにかく利用者さんを守らなければ…だけでした。何が起こったのか状況さえわからない状態でした。まさかあんなに大きな被害が出ているとは思わなくて、帰る時間なのでどうしようか。施設の方針で安否確認のできない場所(安全かどうかわからない場所)には利用者さんを連れて行かないという規則があり、保護者の方に手渡す義務があったのでとにかく全員施設の中でじっとしていました。電気が切れていたので、情報が全く入らず、利用者さんが持っていたラジオで初めて何が起きたのか把握できました。
日頃から訓練はしていたので、職員の動揺はそれほどなく対処できたと思います。職員が不安を抱くと、直ぐに利用者さんに伝わってしまいますから…。ただ、施設が通所でお昼はお弁当の手持ちだったので、施設内に食糧がほとんどなく、かき集めて飢えをしのぎました。寒さと真っ暗闇の中、音のない世界で不安がる利用者さんを支えながら、保護者の元へ元気に返さなければととにかく必死でした。
幸いにも施設は被害に遭わなかったので、車も無事で送迎も再開でき、とにかく施設は開所している状況です。
【震災後の変化】
・家族とバラバラに生活することを余儀なくされた。
・総合避難所で一緒に生活している家族もストレスを抱えている。
障がいが軽度なので、避難所の人は分かり辛い。環境に対応できず、奇声を発したり走り回ったり…母親は何を言われても申し訳ありませんと低姿勢で謝り続けている。施設としてはお母さんが障がい者ですと説明しなくてもいいように配慮する意味で送迎の時に周囲の皆さんに「うちの施設に通ってます。ご迷惑をおかけしてすみません。」と声掛けをしている。
・取引先の事業所が震災で無くなり、仕事ができなくなった。
(水産業の町なので、加工物の箱折りや袋詰めを請け負っていた。)
・避難所での生活が長くなり、いろんな人と触れ合う機会が多くなったことで、人見知りをしていた利用者さんも自然と声を掛けることができるようになった事は、嬉しい限りです。(避難所の皆さんもどう接したらいいのか分ってもらえたのでしょう。)
・お昼ご飯が手持ち弁当なので、避難所の利用者さんが持って来れない。できるだけ施設でも対応してはいるが…
【施設の立場から思うこと】
・仮設住宅に入居するのも遠慮しがちに頑張ってる障がい者のお母さん達にこそ、被災してすぐから心のケアチームが欲しかったと思ってます。「頑張ったね」と声を掛けて欲しかった。健常者の方も大変ですが、障がいを抱えた我が子を守れるのは親しかいません。親亡き後、この子達は行く場所が無くなってしまうのです。入所施設を廃止する方向で進んでいますが、このような状況になって尚更入所施設の重要性を痛感しています。親も一緒に入れる入所施設、それが一番の理想です。
・障がい者の保護者は、我慢して何でも一人で頑張ってしまう癖があって、「こういうふうにして欲しい」と言える体制を作れたらと思います。
・水産業の町が崩壊してしまって、健常者の方でも仕事を失ったのに障がい者に仕事なんて…と言われますが、障がい者だって町が元気になる仲間になってお手伝いをしたいんです。仲間はずれは嫌なんです。皆この町が大好きだから、何とかここは職員が頑張って踏ん張らなければと思ってます。皆に少しでもお給料が払えるように。大変ですが前を向かないと、進まないといけませんから…。
【反省点】
・非常持ち出し袋を用意していたのに所定の位置になかったり、懐中電灯はあるけど電池が切れていたり、通所だから非常食の準備がなかったり、ラジオもない…と意外と小さなことのようで重要です。震災後直後から数日は何もない状態になるので、こういう基本が大切だと改めて実感しています。