GWの合間の平日。
今朝、長男が起きて「今日遠足なんだけど…」と。
遠足があることをすっっっかり忘れてて、慌ててお弁当作りました(旦那さんが。私はおしぼりとか準備した🤣)
教えてくれて良かった🙏✨
昨日のこの記事の続きです↓↓
当時、私が本当に本当に本当に欲しかったのは
日々に幸福を感じて生きること。
銀杏の木のまな板も、
名前を入れた包丁も、
北欧のメーカーのお掃除道具も、
長く使えるステンレスの鍋やフライパンも、
それ自体が欲しくて仕方なかったというよりも
それらは当時の私にとって「幸せのシンボル」だったのです。
それらを使っている私は
きっと【日々幸福を感じて生きること】が叶っている状態だろう。
そんなイメージから、それらのアイテムや「丁寧な暮らし」への憧れが募っていただけ。
その後、
絶対に今世で「仕事が楽しい」と感じることははい。
そんな自分の予想が外れて、仕事が楽しくて仕方なくなった私は
当時の自分が思っていたのとはまったく別の方法で、【日々幸福を感じて生きること】が叶っていった。
結婚するときに「丁寧な暮らし」をしようと思って揃えた、素敵なキッチン用品は
私よりも料理が得意な旦那さんが、きちんと手入れをして頻繁に使うようになった🤣🤣
私の場合は、
自分自身が本気で「丁寧な暮らし」をしたかった訳じゃなくて
それを「幸せのシンボル」にしていただけでした。
こういうことは本当ーーーによくあって
ビジネスでの成功!とか
素敵なパートナー!とか
大きなお家!とか
もしかすると「それ自体」が欲しい訳ではなくて
それが手に入ったときに叶うであろう自分の状態。
それが、欲しいだけなのかもしれない。
だから、自分が本当に欲しいもの。
求めているものを
「言語化できること」がとても大切だと感じます。
表面的な欲しいものは、コロコロ変わる。
実際に手にしたら「そんなに興味なかったなー」ということも、全然ある。
だけどそんな、常に移り変わる
表面的な欲しいものの奥に存在している
普遍的に望んでいる「私」の状態。
それが自分で分かっていると「シンボル」に振り回されなくなる。
例えば
本当は「丁寧な暮らし」に興味ないのに、それを叶えるのが幸せなんだ!と固執したり
本当はビジネスやりたいと思ってないのに、ビジネスで成功しないと幸せになれない!と拘ったり。
そういう遠回りがなくなるのです😊🩷
自分が本当に欲しい状態とは?
どんな感覚で日々生きていきたい?
それを自分で知っているだけで、最短ルートで「幸せ」が叶います✨