昨日の記事のつづきです↓





人生というものに参加するために「私」というキャラクターが生まれた。

そんな前提が、こんな風に変わった。

「私」というキャラクターが生まれたから人生に参加することになった。






それはつまり、


人生に参加することが決まる→「私」を選ぶ


ではなくて


「私」を選ぶ→人生に参加することが決まる


この順番だということ。






マリオカートをどのキャラでプレイするか選ぶように「予め決まっているキャラの中からひとつを選ぶ」ではなくて、


私は「私」という人間のキャラクターを何もないところからイチから細かく作ったのだ。


今回の人生で私が経験するべきことを経験するために必要なキャラクターを。






見た目、雰囲気、性質、能力、才能、家族・・・


「私」というキャラクターがはっきりと決まった時点で、人生に参加することができる。






そんな風に考えると、この人生は


全てが「私ありき」なのだ。






新しいネイルはネオンカラーのフレンチ❤︎






そして、そんな風に捉えると


「自分が自分以外の人だったらいいのになぁ」


この気持ちが湧いてくること自体「私」として生まれてきたことを


たまたまとか

偶然とか

ガチャとか

運とか・・・


そういう要素で捉えていることが分かる。






だけど、本当はそうじゃない。


この「私」じゃないとそもそも人生は始まることすらなかったのだ。






それが、


「私である」ということに最大の意味がある


そんな前提を持つということ🥰🥰






「選べるはず」という前提を持つから、自分以外の他の人生に想いを馳せることができるけど

この私じゃないと人生の意味すら存在しないとするならば。

「私」に対する感覚がほんの少しでも変わってきませんか??





「私である」ということに最大の意味がある。

そんな前提を持つことで、自信を持つ訳でも自分大好きになる訳でもなく

もっとずっと淡々とした気持ちで

なんか分かんないけど「私」じゃないとダメなんだろうなぁ。

そんな感覚がしっくり来るようになった。





それと同時に「私以外の人に生まれてくれば良かったのになぁ」と考えることに、時間とエネルギーを注がなくなったのです🥰