昨日は新しい出会いもあり、欲しかったものも買えて、好きな人たちと楽しい時間も過ごせて

 

とーーーっても幸せな1日でした😍😍

 

 

 

 

 

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欲しかったものは一目惚れした作家さんのカップ!

デパートの焼き物展で見かけたんだけど、息子が早く帰ろうとうるさいので翌日買いに行った😍

 

 

 

 

 

色々話しながら

 

現実創造に意識を向けるよりも

「発するものを変えること」に意識を向ける方が幸せに生きられる。

 

そう、改めて感じた。

 

 

 

 

 

これまでも【素敵な現実を創造すること】に意識が向きすぎて

 

幸せそうじゃない人をたくさん見てきた。

 

 

 

 

 

客観的に見ると、とても素敵な人なのに

 

そして素敵なものをいっぱい持っているのに

 

満たされて幸せに生きられるはずなのに

 

そういう人たちの話を聞きながら受け取る感覚は、決まって「怒り」や「苛立ち」だった。

 

 

 

 

 

めーーーっちゃ怒ってる!

 

めーーーっちゃ苛立ってる!

 

だけど、そのことに自分自身でも気付いていない。

 

いや、気づかないふりをしている。

 

 

 

 

 

誰かが成功することに対して苛立ってる。

 

「なんで私は創造できないの!?」って怒ってる。

 

そしてそんな怒りや苛立ちをビリビリと外側に発してる。

 

 

 

 

 

だけど、言葉や行動はポジティブで前向きなものだったりするから

 

目に見える視点だけで見ると一見とても幸せそうに見える。

 

でも、目に見えない視点で感じたときの「発しているもの」は誤魔化せない。

 

 

 

 

 

なんでそこまで分かるのかというと、私もずっとそうだったからだ。

 

【素敵な現実を創造すること】に意識が向いていたとき

 

めーーーっちゃ怒ってた!

 

めーーーっちゃ苛立ってた!

 

だけどそんな自分を見ることなく、ポジティブな言葉を使って幸せそうに振る舞っていた。

 

 

 

 

 

本当の本当は

 

なんでこの人に創造できて私に創造できないんだよーーー!!!!!!

 

と、いつもいつも外側を見張っては苛立ってた。

 

SNSの中で見る人たちのように素敵な現実を創造できない自分に怒ってた。

 

そして、自分のことはぜんぜん見ていなかった。

 

 

 

 

 

私がそうだったから、同じように

 

【素敵な現実を創造すること】に意識が向きすぎて

 

一見幸せそうなのに別のものを発している人はすぐに分かる。

 

 

 

 

 

私の中から怒りと苛立ちが少しずつ消えていったのは、

 

現実創造という魅力的で刺激的な(だけど掴みどころのない)ものから、意識を向ける場所をスライドさせてから。

 

そのときから自分自身の【体感覚】に意識を向けるようになりました。

 

 

 

 

 

体感覚に意識を向けたとき

 

どれだけ自分が「早く素敵な現実を創造しなきゃ!」と、怒りと苛立ちを感じていたかがよく分かった。

 

私は自分でも気づかないくらい自然に「幸せそうなフリ」をするのが染み付いていたのだけど

 

それさえも素敵な現実を創造するためだったということも。

 

 

 

 

 

体感覚に意識を向ける。

 

それはつまり「私が発しているもの」に意識を向けるということなのだけど、

 

そうすれば感じている気持ちと発しているものとのズレがなくなる。

 

 

 

 

 

そして、カンタンに幸せに生きられる。

 

その幸せとは「素敵な現実が創造できたから」という条件付きの幸せではなくて

 

ただ私が体で感じているだけの、シンプルで絶対的でこの世界の真理のような「幸せ」なのだ。

 

 

 

 

 

そういう幸せは、強い。

 

そういう幸せは、揺るがない。

 

 

 

 

 

私はそういう種類の幸せについて伝えていきたいし

 

そういう種類の幸せを放つ人になりたいっていつも思ってる。