先月田舎に帰った理由は、おばあちゃんの四十九日でした。

 

おばあちゃんと最後に直接会ったのは出産前の4月のこと。

 

 

 

 

 

 

その後、私が出産する少し前からおばあちゃんは体調を崩して入院することに。

 

緊急事態宣言中で、面会は一切禁止でした。

 

 

 

 

 

 

出産後少ししてお父さんから電話があり、おばあちゃんの容態があまり良くないことを知りました。

 

その知らせを聞いたとき、まず最初に思ったのは

 

「赤ちゃんをおばあちゃんに見てもらえなかったらどうしよう!」

 

そして、次に思ったのは

 

「どうしてこんなときに??」

 

 

 

 

 

 

どうして緊急事態宣言中に?

 

どうしてコロナが落ち着く前に?

 

どうして今のタイミングで?

 

 

 

 

 

 

もし少しでも時期がずれていたら、おばあちゃんのお見舞いに行けたのに。

 

赤ちゃんにも会ってもらえたのに。

 

大きくなった上の子にも会ってもらえたのに。

 

 

 

 

 

 

私は一人っ子で両親が共働きなので、

 

小さい頃からおじいちゃんとおばあちゃんと過ごす時間がとても長かった。

 

もしかすると、もう二度と会えないのかもしれない。

 

そう思うと胸がギューっと苦しくなりました。

 

 

 

 

 

 

数日後にまたお父さんから電話があって

 

「おばあちゃんがしっかり話ができる状態だから電話をかけてあげてほしい」とのことでした。

 

急いで電話をかけると、想像以上にいつも通りのおばあちゃんが電話に出た。

 

 

 

 

 

 

赤ちゃんが産まれたこと。

 

創間(そうま)という名前をつけたこと。

 

そんなことなどを話ながら、おばあちゃんは産後の私の体の心配と

 

その少し前に広島でたくさん降った雨の影響がなかったかを心配してた。

 

 

 

 

 

 

「もしこれが最後だとしたら何を話せばいいんだろう…」

 

最初、一瞬そんな気持ちが湧いてきたけど

 

おばあちゃんがあまりにも普通の様子だったので、私もだんだん普通になっていき

 

特別なことは特に話さず、いつも通りな感じで電話を切った。

 

 

 

 

 

 

電話を切ってしばらくした後で、ふと思ったんです。

 

別に会えなくても良いのかもしれない。

 

と。

 

 

 

 

 

 

image

四十九日の日にかかっていた13人の仏様の掛け軸。

 

 

 

 

 

 

会えなくても良いのかもしれない。

 

赤ちゃんにも会ってもらえなくても良いのかもしれない。

 

もちろん会えたら嬉しいけど、

 

そうじゃなくても別に良いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

それまではずっと

 

「赤ちゃんをおばあちゃんに見てほしい!」

 

その気持ちが強くて、面会できる方法を考えてたのに

 

その瞬間から不思議と、本気でどちらでも良いと思えるようになりました。

 

 

 

 

 

 

なぜだかそのとき私には、おばあちゃんは赤ちゃんに会えなくても全て分かっている。

 

そして、私と会えなくても全て分かっている。

 

そして、私もちゃんと全て分かっている。

 

そんな気がしたんです。

 

 

 

 

 

 

「全て」が何かと言われると、上手く言葉にできないけれど・・・

 

会えても会えなくても、お互いに分かっているし知っている。

そう心から思えて安心できている。

 

そんな感じ。

 

 

 

 

 

 

 

そして、そのときにもう1つ確信したこと。

 

どうして緊急事態宣言中に?

どうしてコロナが落ち着く前に?

どうして今のタイミングで?

 

そんな風に私はもどかしく思っていたけれど、もしかすると大切なことを私が知るためには

 

このタイミングじゃないとだめだったんじゃないだろうか?

 

 

 

 

 

 

肉体をもって直接触れ合うことは幸せなことだけど

 

目に見えるものだけにこだわっていると、もうひとつの大切なものが見えなくなってしまう。

 

だって、本当は知っているでしょう??

 

直接触れ合うことだけが大切な訳じゃないことを。

 

もう2度と肉体を持って会えなかったとしても、それで終わりではないことを。

 

 

 

 

 

 

目に見えるものを大切にする世界から、目に見えないものも大切にする世界へ。

 

占星術とか星の動きとか私は全然詳しくないけれど

 

「風の時代」ってそういうことなんだ!って、このとき本当に納得した。

 

目に見えるものだけに価値を置いていたら、この先はきっとどんどん生き辛くなるだろう。

 

コロナもそれを伝えてくれるために、このタイミングで起きたのだろう。

 

 

 

 

 

 

そう思ったら、私の体感覚はとても良くなった。

 

だからそれは「本当のこと」だと思うのです

 

 

 

 

 

 

 

その後、やっぱり面会できないままで

 

赤ちゃんにも会ってもらえないままで

 

おばあちゃんは天国に旅立った。

 

 

 

 

 

 

だけど私はもう

 

どうして今のタイミングで?

 

そんな風には感じなかった。

 

会えても会えなくても、お互いに分かっているし知っている。

 

あの瞬間、はっきりそう感じた感覚が私の中には今でも残っているから。