私は「重たい気持ち」は重力と同じだと思ってる。


この物質世界を生きる上で、肉体ある限り逃れることができないもの。


そして、この肉体がなくなってしまえば勝手にそこから自由になれるもの。






だから、生きている間は「重力(重たい気持ち)から逃れようとすること」を頑張るのではなくて


重力を味方につけること。


こっちの方を頑張った方が良い、というのが私の意見🥰🥰






重たい気持ちを排除しようとするんじゃなくて、私がより良く生きるための最大の味方になってもらう


↑この「重たい気持ち=重力」への感覚が変わるとめちゃくちゃ生きやすくなるので(逆に、排除しようとすると不自然な方向に進みはじめる)


今まさにそこと向き合っている方に、最大の応援を送りたい❣️❣️






2021年の記事にも、同じような内容を書いていたので再アップします。






しつこいけれどひたすらに「スッキリした世界」は、肉体を去った後の重力のない世界でいくらでも叶えることができるから


今はまだこの重力がある世界特有の混沌を楽しもうよ






そんな風に伝え続けたい。


「楽しもう」という姿勢が、味方につけるということだから🥰




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妊娠して出産するくらいまで、幸せとはパキッとした色合いのとても分かりやすいものだと思ってた。

 

本屋に行くと自己啓発本が並んでる。

 

ブログやFacebookを見ると「起業」や「稼ぎ方」についてたくさん書かれてる。

 

 

 

 

 

 

だから、

 

能力高めて、起業して、お金を稼いで、素敵な服着て、優しいパートナーがいて、新しくて広い家に住んで

 

嫌なことはぜーーーんぶ手放して、大好きなことばっかりやって、優しい人たちに囲まれていれば。

 

そういう状態こそが幸せなんだと当たり前のように信じてた。

 

 

 

 

 

 

なので、そんな「幸せ」に近づくために

 

最初はドキドキしながら嫌なことをひとつひとつ手放していった。

 

そうしたら、前よりもずっと私は「幸せ」になった。

 

仕事も楽しくなったし、お金も稼げるようになったし、優しい人たちに囲まれるようになった。

 

嫌な気持ちを感じることが減って、楽しいと感じることが増えていった。

 

 

 

 

 

 

幸せとはやっぱり、パキッとした色合いのとても分かりやすいものなんだと思った。

 

だから、嫌なことはどんどん手放した。

 

ポイポイ手放すごとに、嫌な気持ちを感じることは減っていった。

 

私はますます「幸せ」になった。

 

 

 

 

 

 

だけど、妊娠して出産したくらいから少しずつ様子が変わっていった。

 

「嫌なこと」と「喜ばしいこと」の境目がどんどん曖昧になっていったのだ。

 

 

 

 

 

 

体調悪いのは嫌なこと。

 

お腹の中で赤ちゃんが成長するのは喜ばしいこと。

 

痛いことは嫌なこと。

 

出産は喜ばしいこと。

 

思った瞬間に動けないのは嫌なこと。

 

赤ちゃんと過ごせるのは喜ばしいこと。

 

 

 

 

 

 

それまで、嫌なことをどんどん手放すことでスッキリして「幸せになれた」と思っていた私だったけど

 

これまで通りにいかないことを感じていた。

 

何を手放すべきで、何を手放すべきじゃないのか?

 

それがよく分からなくなってきたから。

 






今月で5ヶ月になります。

 

 

 

 



「嫌だなぁ」「めんどくさいなぁ」「しんどいなぁ」

 

そう感じたなら「やーーーめた!」って全部手放せばスッキリ幸せ!!!

 

これまではそんな感じ。

 

 

 

 

 

 

だけど例えば、夜中に何をやっても赤ちゃんが泣き止まないとき。

 

「嫌だなぁ」「めんどくさいなぁ」「しんどいなぁ」

 

だけど

 

「やーーーめた!」ってしたい訳じゃない。

 

捨てたい訳でも、逃げたい訳でも、手放したい訳でもない。

 

なぜならそれは「嫌なこと」であると同時に「喜ばしいこと」でもあったから。

 

 

 

 

 

 

そういったことを感じて初めて

 

私の中で「幸せ」とはパキッとした色合いの分かりやすいものではなくて

 

曖昧で混沌とした色々な色が混じり合ったグラデーションのものになった。

 

 

 

 

 

 

それは、嫌なことを我慢するってことじゃない。

 

子供はちゃんと育てないとダメ、みたいな道徳的なことが言いたいのでもないし

 

小さな幸せを大切にしよう、みたいな話でもない。

 

 

 

 

 

 

ぐちゃぐちゃで、混沌としていて、曖昧で、スッキリしてなくて、割り切れない。

 

この世界が元々そういう風に成り立っていることが分かったら

 

パキッとした色合いの分かりやすい「幸せ」を追い求めなくても良くなった。

 

 

 

 

 

 

そして、それ自体がとても「幸せ」なことだった。

 

世界を見る視点が大きく広がった感覚。

 






今や私は、幸せになるために「嫌なこと」をポイポイ手放すことに躍起にならなくても良くなった。

 

それは、

 

手放さなくては幸せになれない!

いつもスッキリ良い気持ちでいないといけない!

嫌な気持ちを感じてはいけない!

 

そんな風に「幸せ」というものの型を追い求めなくても良くなった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

なぜなら分かったから。

 

「嫌なこと」と「喜ばしいこと」はぐるぐるに混ざりあっていて

 

その混じりあった曖昧な色自体が、決して手放してはいけない

 

生きる喜びだということを。

 






寝相もいろいろになりました。

 

 

 

 



全てをその視点で見ると、本当に手放すべきものもちゃんと分かる。

 

いや、「手放す」というのはこれまで思っていたような嫌なことをポイポイ捨てていくことではなくて


本当は捨てたからスッキリするってものでもない。


(一瞬スッキリしたように錯覚するだけ)







手放すとは、丁寧に選択していくこと。


曖昧で、混沌としていて、正解なんてない


その前提の上で


今私はどうしたい??

 

そんな風に自分に聞いて、その瞬間の自分の中の最善を選ぶ。


そんな地味でスッキリしないコツコツした作業。







それは、


これさえやっとけばオッケー。

これさえ手に入れれば幸せ。


そんな世界観とは真逆にあり、少しだけ手間がかかり、少しだけ怖い。


なぜなら、自分を信頼しなくてはいけないから。







だけど、パキッとした色合いの分かりやすい「幸せ」を求めなくなってから。


スッキリするために嫌なことをポイポイ捨てなくなって、


ぐちゃぐちゃした混沌の中に「生きる喜び」を見出せるようになってから。


なぜだかこの世界の真理みたいなものに、グッと近付いたような気がしてる。







その真理に近付く感覚に名前を付けるなら、


それこそが「幸せ」なんだと思うのです。