昨日のこの記事に

 

 

 

『傷つきたくない』

 

これらが何よりも大切だったと書いたけど、この気持ちが1番表れていたのはやっぱり「人間関係」だと思う。

 

 

 

 

 

 

ふとした人の言葉に傷ついたり、

 

グルグル考えたり、

 

相手を不快な気持ちにさせてないか悩んだり・・・

 

 

 

 

 

 

どうやったら人の言葉に傷つかないような自分になれるだろう?

 

人の言葉に傷ついてばっかりで、嫌われることが怖くて、そんな風に考えるようになった。

 

 

 

 

 

 

もっと強い自分になりたい。

 

他人の言葉で傷つかない自分になりたい。

 

何を言われても平気な自分になりたい。

 

そう思ってた時期も長かったけど、あるとき気付いたんです。

 

 

 

 

 

 

「とどめ」はいつも自分が刺していることに。

 

 

 

 

 

 

例えば(めっちゃ小さな例えだけど。笑)食事会のとき、私の近くに全員分のお皿がある。

 

私は気付かず、会話に夢中になっている。

 

誰かに嫌味っぽく「そのくらい気付こうよ」と言われる。

 

その瞬間、自分の中で声が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

なんでお前はこんなに気が利かないんだ!

なんでお前はいっつもこうなんだ!

だからお前はダメなんだ!

 

 

 

 

 

 

例えば、仕事でミスをする。

 

上司に「そのくらいはもう出来るようになってもらわないと」と言われる。

 

その瞬間、また自分の中で声が鳴り響く。

 

 

 

 

 

 

なんでお前はそんなことも出来ないんだ!

なんでお前はいっつもこうなんだ!

だからお前はダメなんだ!

 

 

 

 

 

 

思い返せば、いつもいつもそうだった。

 

私は相手の言葉によって「傷つけられた」と思っていたし「自分を否定された」と思ってた。

 

その言葉を発した相手を恨んだこともあったし、

 

逆に、相手に何を言われても傷つかないような強い自分になろうとしたこともあった。

 

 

 

 

 

 

だけど、そもそも自分を傷つけていたのは

 

いつも「相手」じゃなかったことに気付いたんです。

 

私の存在を否定していたのは、

 

私の存在自体を否定するような「とどめ」を刺していたのは、いつでも「私」だったんだ。

 

 

 

 

 

 

広島はここ数日で一気に秋の空気感♡こんな夏の空がもう懐かしいほど!

 

 

 

 

 

 

そのことに気付いてからは、他の誰でもなく

 

私が私の味方になろうって思った。

 

 

 

 

 

 

「味方になる」っていうのは、

 

自分に非があることを分かっているのに開き直ることとか

 

何があってもいいよいいよと自分をヨシヨシすることじゃない。

 

誰1人否定していない私の「存在」に、自分でとどめを刺さないことだ。

 

 

 

 

 

 

他人からどんなにひどいことを言われても、

 

存在を否定されたように感じることを言われても、

 

私の「存在」を傷つけることなんて絶対にできない。

 

他人は私の肉体に触れることはできても、内側にある「存在」に触れることはできないからだ。

 

 

 

 

 

 

だから、本当の意味で私を傷つける方法はたった1つ。

 

私なんて存在する価値がない。

 

私が私に対して、そんな風に決めること。

 

その瞬間、私はやっと本当に傷つくことができる。

 

 

 

 

 

 

「私の味方」になるっていうのは、そんな風に「私の存在」を絶対に傷つけないと決めること。

 

とどめを刺さないと決めること。

 

まずは、自分がいつも自分に対してどんな言葉をかけているのかをちゃんと見ること。

 

 

 

 

 

 

「傷つかない私」になることも

 

「強い私」になることも、本当は全然必要なかったんだーーーって今は本気で思うんです。

 

 

 

 

 

 

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