酷い頭痛が続いたため、3日ほどまともに勉強ができていません。
昨日と今日は細切れにできそうなタイミングで勉強をしましたが、まとまった時間でしっかりと勉強ができずにいます。
ただ、今日は学習相談のために都内に行ってきたということもあり、少し血行もよくなったようで、頭痛は引いて、あとは体が変な感じ(ホルモンバランスの崩れっぽい感じ)だけです。
今回みたいに、ドーン!と3日ほど頭痛がきて、そこから体力失ってヘロヘロなのは、年に2回とか3回ほどあります。
女性と頭痛・気象病・PMS
この話題は何度も書いていますが、女性特有の頭痛や気象病やPMSで、勉強が中断してしまうことは、よく聞く話です。
私の夫はよく家事をしくれていますが、その後ろ姿と自分を重ね合わせても、私より疲れがたまりにくいとか、やっぱり相対的に男性はタフだなと感じます。
と書きましたが、やはり頻度はそう多くないものの、時々は肩こりがぐっとくるようで。
女性特有の〜と書きましたが、男性でも30代40代の方だと、やっぱり不眠や頭痛や体調不良で勉強できない日がある人もいるようで、女性に限らずといったところです。
男性は筋肉がある分、血管がむくみやすいことを原因にした女性特有の症状はあまり出ないと言われていますが、それでもやはり家事を頑張っていれば、また、同じ姿勢で勉強をしつづけていれば、男性といえど体調を崩します。
実は私は20代の頃は全く生理痛もなく、特に月に伴う不調もほとんどなかったんです。
ただその頃は公文の教室をしていて、教室のスタッフさんの中には、いろいろな不調を訴える声があったので、そこは分からないながらも「配慮」はしていました。
ただ、今その自分を思い出しても、十分であったとは言えません。
思うことは、やはり自分の身におきないことは想像が十分には及ばない、ということです。
想像できないなりに最大限の配慮はするものの、やはりその経験者同士の「わかりみ」に比べたら、たいした理解にはなりません。
もちろん無理解よりは、分からないなりに理解はした方がいいなと思っていました。
たとえ共感はできないとしても、「そういう事実がある」ということはしっかりと受け入れて、相手の話と希望を積極的に聞いて、適宜対応することは、最低限必要です。
それが、理解なのかなと。
そのころの自分は、希望が出れば当然に対応していましたし、お休みになってプンプンなんてことも一切なかったですが、もっと欲を言えば、こちらから積極的に「ご相談くださいね」ってアピールしても良かったなと思っています。
スタッフさんの中には、妊活をしていた(であろう)方もいて、今思えば、もっと配慮があってもよかったんだろうなと思っています。
ただ、まだ10年前はそんな時代の雰囲気はなかったですし、ご本人も言いにくい空気は世の中にまだ普通にあったので、自分の対応が不足していたわけではありませんが。
振り返って今思えば、自分に「わかりみ」がなかったことと、逆に今は、たいへんな人のたいへんさが、自分とは違う痛みや苦労でも、すごく想像できる範囲にいるなあと感じます。
私も辛い。
貴方も辛い。
わかるわ〜。
男性こそ分かってほしい
もちろん今でも、まだ面と向かって言うのは恥ずかしいものですが、基本的に、生理の日はつらいんです!って、言ってもいい世の中になったなと感じています。
これは時代が進んで良かったと思えること。
女性の性差や身体的なことの苦労も、社会が理解を示してくれることで、かなり生活がしやすくなることは間違いないです。
社会が理解してくれたからといって痛みが消えるわけではありませんが、痛みと共にやってくる「申し訳なさ」から解放されるだけでも、安心して痛みを受け入れられます。
ホルモンバランスの関係で生理の日には勉強できなくなる人もいるし、頭痛や天気に左右されて一日中勉強できない人もいるということも、ゆくゆくは当然に周知され、「じゃあ勉強できないなりにどうするか」という話に自然になれたらいいなと思います。
もうだいぶ前の話ですが、頭痛が酷くて勉強できないって言ったら、男性講師(そもそも女性講師が当時はゼロだったわけですが)の方が、「そうやって具合悪いばかりだと話にならない」的な返答をされて、すごく困った記憶があります。
こちらとしては、家事をうまく片付けて勉強したい、体調が天気で左右されても勉強したい、子どもの風邪や熱や家事や自分の体調不良で勉強できなくなるけれど、そういうことをひっくるめて「勉強したい」と思っていましたし、そのことを普通に相談したことがありました。
でも、それらを「愚痴ばかり」とレッテルを貼られてしまったんですよね。
「愚痴ではないんです」って言ったんですけれど、だめでしたね〜。
そこで全否定されると、もう先に進めなくなるわけです。
勉強ができていない、課題が止まっている、そういう事実は百も承知です。
勉強をしなければ受からないのは当然ですけれど、不可抗力の中でも「工夫したい」「切り替えたい」と思っている気持ちを「愚痴だ」って無理解で終わったら、勉強を継続する気持ちに冷や水をかけられるようなものです。
一番必要なことは、その不可抗力の中で奮闘している人への「理解」だと思うんですよね。
理解したら合格するわけじゃないけれど、理解してくれるだけで、勇気になるから。
無理解は冷や水、理解は勇気、どちらを心に投入できるかという話に尽きます。
でも、その当時からほんの数年しか経っていませんが、女性が生理で動けません仕事に行けません勉強できませんと言っても、それを「そんなの言い訳だ」、仕事しろ勉強しろとバッサリ切る人が減ってきているのは、感じます。
あれを「愚痴ばかり」と言われてしまったのは、数年前のまだ時代がそういう時だったからだと、私はそう信じたいです。
40歳過ぎてくると、睡眠不足が続いたり徹夜したりすれば回復するのにものすごく時間がかかるし、疲れ目ですぐに文字がかすむとか、疲れると近くが見えにくくなるとか、不眠症になりがちだとか、頭痛持ちだとか、高血圧だとか、生理前後は食欲止まらないだとか、精神的にマイナスになりがちだとか、いらいらしがちだとか、生理痛の日は勉強なんて全くできないとか、人それぞれ、もうきりがないわけで。
長時間の勉強で肩や腰も悲鳴を上げるし、若い人と「同じ」っていうわけにはいきません。
だから、労わりながら、自分を鼓舞しながら、しっかりケアしながら勉強するしかありません。
時には、休むしかない日も出てきます。
タフな人は毎日勉強すればいいけれど、全ての人がタフだと一括りにするのではなく、それぞれに違いがあることに理解を示せる優しい世界が来てほしいなと思います。
隣にいる人が自分と同じ・・・ではないことを、理解するだけです。