プロフェッショナル | 子育てしながら◆公認会計士試験◆

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*・*・*小学生娘の母*公認会計士試験に向け学習中*・*・*

明けましておめでとうございます。

 

本年もかわらず当ブログをよろしくお願いいたします。

 

 

■ お正月 

 

今年は、母のツテで実家近くの温泉旅館で1泊しました。

 

今も母は現役で公文の教室をしており、その関係で。

 

私の昔の公文の教室も同じ地域だったので、旅館の家の子が通っていることもよくあり、温泉旅館のツテがあったりします。

 

私の場合だと、義母の喜寿の宴席を生徒さんの旅館でするなど、使わせていただくこともありましたし、今回は、現役母の方で通っている生徒さんの旅館を使わせていただきました。

 

特にたいそうなサービスがあるわけではありませんが、例えば広めのお部屋にグレードアップしてくださっているかもとか、宴席のデザートにメロンなどお高めなフルーツが増えているなとか、そういう小さな気遣いをいただくことはあります。

 

とても良質な温泉につかって、のんびりできた年明け・・・

 

でしたが、母と大げんかしましたw

 

 

■ プロフェッショナル 

 

私が公文の教室を開設したのは、27歳の時でした。

 

公文の指導者の2世が教室を開くことはままある話なのですが、私はこの時、母とは「明確に別の教室」として開きました。

 

そもそも教室を始めようと思ったきっかけが、母が癌で入院している間、代理として教室をまわして、「これは違う、私は私が思う公文式の教室をしたい」と思ったことが始まりでしたから。

 

「一切、口出ししないで」と。

 

その分、プレッシャーはすごく強く感じました。

 

 

普通は30代40代の子育て世代の女性が開設することがほとんどで、実際に研修の場でも、20代は私だけでした。

 

20代で指導者の看板をあげるのであれば、「それに見合うだけの価値が自分にないとダメだ」と、強く強く思っていました。

 

1教科6,300円、これをいただけるだけの価値を提供できなければ、自分が公文式の看板をかかげる資格はない。

 

はっきりとくっきりと肝に銘じて、スタートしました。

 

 

 

そして教室を始めてそれはさらに強くなりました。

 

私より年上のお母様方が、私を「先生」と呼ぶんです。

 

いや私などが先生と呼ばれるなんて、とんでもない。

 

そう口に出そうになって、慌てて言葉を飲み込みました。

 

いや、ここはそんな謙遜などを出すことよりも、その先生という言葉に見合うだけの価値を提供することが一番にすべきことで、自分が謙遜してもそれは逆に失礼なだけ。

 

 

そう思って、公文式だけでなく、子どもの発達や教育のいろんな分野の本を買って、買って、読みまくって。

 

他には、優秀な指導者の方の教室を見学させていただくことも、たびたびしていました。

 

指導者の先生同士で開く勉強会、ゼミについても、どんどん参加して、いろんな事例や学びを増やしました。

 

自分が一番弱いのは「幼児指導」ということも分析して、20代の自分には不得手な分野なので、逆に、人よりもここをたくさん学んで、自分の強みにすることを決意しました。

 

他にも、公文では年に1回、「世界大会」と称するものがあり、世界中から指導者が集まって、複数のテーマにそって各分野で強い教室の論文発表の場が設けられているのですが、できる限りの分科会を回って、たくさん学びました。

 

 

「自分はプロフェッショナルになりたい」

 

という気持ちが常にあり、今の今はまだプロフェッショナルとは言えないことを自覚し、「公文式」に関しては他に負けないプロフェッショナルになろうという想いがいつも自分を励ましていました。

 

 

そう思っていたのですが、結婚することを決め、教室も手放すことを決めた時。

 

ふと、自分はプロフェッショナルとして仕事ができていたのだろうかと自分を振り返りました。

 

自分の評価を自分ではできないなぁと思っていた矢先、ある子のお母様から「先生、辞めちゃうのはもったいないよ、公文は先生の天職だよ」と言ってくださる方がおりました。

 

その瞬間、「もしかしたら私も人かどの指導者にはなれたと言ってもいいのかな」と、少しだけ自分を褒めてあげました。

 

「とはいえ、結婚で公文を離れるんだから、プロフェッショナル失格だな」と、すぐに自嘲しましたが。

 

 

そして、自分の教室を別の新しい指導者の方にお渡しすることが決まり、その引き継ぎまでは「この教室はこの後も私がいなくても回る教室にしよう」と決め、引き続き教室に残るスタッフの先生方にしっかりと体勢を固めて、自分の任を閉じました。

 

その半年後。

 

新しい先生が「幼児指導に長けた教室」として講演をしたと聞き、ちょっと苦い想いを噛み締めましたが、それはそれで、私が残した幼児指導が引き続き生きている証拠でもありました。

 

 

実は、なんでこんな話になったかというと・・・

 

母と公文の昔の私の教室のことで、ちょっと喧嘩しましてね。

 

それで昔のことを思い出すお正月になりました。

 

 

私が会計士を目指したときも、「やっぱりプロフェッショナルになることを目指して仕事がしたい」という気持ち、「チームでする仕事がしたい」という気持ちが変わらずありました。

 

実際、結婚をした後は、転勤の可能性もあったので正社員ではなく派遣という働き方を選びましたが、派遣ではまさにその場のチームをお支えすることが仕事だったので、これはこれでとても充実していました。

 

でもその横で、研究開発などの専門職の人たちを支えていたので、気づくと自分の心は「やっぱり自分の専門を磨いて社会に貢献できるところにいきたい」という気持ちが強くなっていったのも事実です。

 

 

が、こんなところで足踏みするなんて、思ってもなかったなぁ。

 

ただ冷静に考えれば、自分はぽっかりと穴を抱えていたわけで、そこをきっちり埋めなければ、先には進めないのは当然。

 

今勉強で向き合っているのは、自分の欠点だから。

 

 

ちゃんと、足元踏み締めて。

 

頑張ろう!