自分の会計士の勉強も大切だけど、同じくらい大切なのが、娘の教育です。
私も自分自身の未来を欲するように、娘にも今しないといけない未来の一歩があるので、ここは譲れません。
といっても、中学受験を目指しているのではありません。
■ 娘に身につけさせたい、10年後へのギフト5つ
* 言語
* 数学
* 物理
* デザイン(設計)
* アート(表現)
大きな括りなので、細かく分類してみると・・・
・母国語の論理力
・母国語の討論力
・英語、中国語、などの他言語
・数学の自在力
・数学の分析力
・事象の観察力
・事象の追究力
・プログラミング
・審美眼
中学受験をしても、たぶん15年後、30年後には、大企業に就職する意味がかなり薄れてきていると予測しているので、それよりも、本人が「柔軟に」何かを創っていける人間になっていることが、すごく重要になってきていると思うんです。
文系も理系も、そいう分け方は消える気がします。
英語やプログラミングの習い事に通わせたい人は多いと思うのですが、私の個人的な考えでは、その両方の土台になっているのが、「国語」と「数学」なので、こちらを優先する方がいいのではと思ってきました。
公文での経験上、母国語で論理力が弱いと、第二言語の英語を伸ばしても天井があるのを見てきたので、英語よりも国語がしっかりと力があって、論理的にも構造的にも文章が理解できるかの方が大切だと思っています。
何よりも、抽象的な概念を理解するには、母国語がしっかりと身についていないと、高次の言語力に到達できません。
発音の流暢さも必要ですが、それ以上に必要なのは、話す中身が根底にあることです。
私の中で、過去一番かっこよかったのが、派遣先の部長が、海外とのテレビ会議で喧嘩してたことなので、ビジネスで大切なのは、難しい英語でもないし、流暢な発音でもないことが、強いイメージとしてあります。
プログラミングにしても、国語と数学ができていれば、いつ始めても遅くないと見ています。
私は学生時代に、HTMLをフルでタグ打ちしてホームページを作成していた時期があります。
HTMLって、言語の一番の古株で基礎の基礎ですが、作っているときの感覚は、言語にも数学にも共通するものがあるなと感じていました。
やっぱ、国語だよね・・・というのが、本音。
それから、観察力。
科学全般に必要な、何かを観察して自分の中で仮説を組み立てる思考力が出てきたらいいなと思っています。
それもあって、娘には幼児の頃から天気の話をいつもしているのですが、これは観察力の土台になっています。
生物の観察もいいし、できれば物理的な現象への不思議をたくさん見つけて、自分なりに思考してほしいなと。
お風呂に入った時なんかも、たくさん学びました。
で、最後に、設計とアート。
これからの時代は、これはかなり上位に上がってくる必要不可欠な力になるんじゃないかと思っています。
最近は、直感的に操作できるものが増えました。
自由な発想でデザインして、それを形にするという時代が既にやってきているとも思います。
手書きでフリーハンドの設計をして、それにロジックを当てはめて形にする、という感じで。
アートは物体を立体で見る力も養われます。
タブレットも大いに活躍していますが、でも最終的には、デジタルであれアナログの紙であれ、手でたくさん「書く」も「描く」もした方が、将来の役に立つと思い始めました。
手元に余剰資金があったら中学受験させたいなとは思いますが、それは「面白い学びができそうな学校」に入れたらいいなと思う反面、いわゆる進学有利の学校というものには、最近、とみに興味が薄れてきています。
ん〜、でも我が娘は、進学校に受験できるほどの、そういった優秀さはないようなので、そこはお門違いなのですが。
なんだか急に、教育について考えていたことがずっと頭の中にあって、それを文章にしたくなって書きました。
なんの目的もなく書いたので、すみません。