勉強時間がない者には工夫が必要!
なんて言っていて、足元すくわれていたと気づきました。
「工夫」して、「効率よく」勉強すべしと思っていましたが、
考え方が間違っていたと、今さらですが気づきました。
結局、どうしても掛けなければいけない「勉強量」から
逃げるために、必死に「工夫」「効率」を唱えていただけで、
私はただの甘ちゃんになっていました。
もちろん、時間がない・限りがあるのは逃れられない
環境なのだから、工夫は必要です。
「戦略」は必須だと思います。
でも、個人によって能力は違うし、土台も違うから、
この-わたし-が、どうしても掛けなければ到達できない
勉強量からは逃れられないのです。
私は「工夫」と唱えながら、この勉強量から逃げていたと
強く慚愧の念を抱いています。
なので、この勉強量に対峙することに、必死になっています。
やっぱり忘れるし、忘れないタイミングでの復習は必要で、
忘れてしまったものはもう一度解かないといけないし。
当たり前ですが、その時間だけは「削れない」ため、
どうやったらその勉強時間が捻出できるかの方に、
工夫することに、徐々にフェーズが移ってきています。
あと、逃げたくなる自分にも闘っているかな。
絶対に逃げたくないです。
きっちり努力しきりたいです。
どんな結果であれ、(もちろん短答合格!ですが)
やり抜いたと胸を張れるだけのことは、したい。
今までの人生で、やっぱり「全力を尽くした」と思えなかった
過去の事象は、心に後悔として残っているので、
その思いをまたこのまましたくはない。
それに、「今」逃げて、来年があったとしても、
来年も「今」と同じにしかならないように思うのです。
来年できるのなら、「今」やれる。
「今」やれないのなら、来年もやれない。
「今」の自分は、来年の自分でもあるのだから。
よし!