まず最初に…

元jw(エホバの証人)についての私の考えについてが主な記事で、
しかもそれ以外にも話題満載なので長文です。

今回は最近元jwの方々とメッセージやコメントをしてきた中で、
ずーっと考えていたことを、やっとなんとか記事にできそうで、
色々書くから長文になりますし、
元jwについてはあまり興味のない方も多いかもしれないので、
「小分けに出すより一気に一記事にまとめたれ」
という思惑もあります(笑)


さてここでご注意です。

プロフィール、PC版メッセージボード共に記載しておりますが、
元jwに対して批判的な方は、メッセージなどをいただいても削除とブロックをさせていただきます。

人を傷つけ、生き方を壊す間違った組織の教えを、
神の教えだと勘違いしている人には、何を言っても聞く耳を持っていないと色々見て感じました。

聞く耳をもたない会話は、何の実も結ばない不毛なもの。
平行線をたどるほど、ムダに疲れてアホらしいです(笑)

なので擁護派は、即刻お立ち去りください。



さて本題に入ります。


もぅ20年以上前、もしかしたら30年くらい前とかなのかもしれません。

まだ私がバリバリ現役jwだった頃、四つの愛について取り上げられた内容があった記憶があります。


分類が大好きな私は(笑)

(そしてこの記事の後半あたりにも、別の分類が出てくると思います(笑))

その四つの愛はとても興味深いものでした。

ただ「愛しい」と思うだけでなく、種類があるんです。

なんかおもしろいと思いました。


ですがかなり昔のことなので、もぅ知識も曖昧で上手に説明できるとも思えないので、

ヒーリングサイトからですが、まぁわかりやすい感じで四つの愛の愛が書いてあったので、

そちらもご参考に。


「性愛、家族愛、友愛、人類愛」 


このタイトルだけで、すでに四つの愛が日本語解釈として出ています(笑)

ありがたや(笑)


ひとつめの「性愛」と書かれているのは、もっともよく知られている「エロス」

そして本能的で肉欲的な愛で、皆きっとよくご存じだと思うので、詳細はこの場ではスルー(笑)


ふたつめの「家族愛」は「ストルゲー」

これも字のごとく(笑)


みっつめの「友愛」は「フィリア」

友達だけでなく、近所の人とか同僚とか先輩とか後輩も含まれてるもの。

一番有名な話は、「走れメロス」か?(笑)


よっつめの「人類愛」は「アガペー」

神が人間に対して抱かれる無限で無償の愛と言われていて、

人間も神に対してこの愛が求められていたと思います。


「エロス」は本能的なものなので、意識しなくても示せそうな愛ですし(笑)

家族愛の「ストルゲー」も、親子間であれば当然最初から備わっているものだと思っていました。


ですが今のはっぴぃ家族は「ストルゲー」を感じているとしても、

正直母に対しては、全く愛を感じることができないのです。


「虐待」「毒親」「アダルトチルドレン」

このような言葉が社会の中で良く聞かれるようになった頃、

ごく最近まで自分には全く関係ない単語だと思っていました。


正月早々に書いた「不惑の年…」 ではほんの一部ですが、

母からの虐待や毒親っぷりを披露しています。


ベルトや布団たたきや物差しのムチは、日常茶飯事でした。


今もシンガポールやマレーシアやイスラム諸国で行われている鞭打ち刑をご存知ですか?

ググると痛々しく悲惨な画像がたくさん出てきます。

苦手な方も多いと思いますので、検索は自己責任で。


もちろん色々裂けて流血する、あれほどの外傷にはならなくとも、

物差しや布団たたきやベルトやホースなどで叩かれると、

みみずばれを通り越して、皮下出血やあまり同じところに当たると実際に出血もします。


そして数日以上、イスに座る時に痛い(苦笑)

ってか、イスに座る時だけでなく、常に「そろそろ」としか動けない状態(苦笑)

(パンツ履くのも命がけw)


そのようなムチは、子どもに対して行われる場合、

該当する国で行われているムチに匹敵するくらいの衝撃があると思います。


それを、jwの教えにそぐわない(要は「親に従順」でない)という理由から、

自分の子どもに下す親。


傷跡が体操服の半ズボンから出ることはすごく恥ずかしかったです。

それは「親から叩かれた痕」というものは、

「自分が悪い子」であることの証明のようだったから。


実際は「虐待」であったのに、

「親」という権力を振りかざして子どもを委縮させ、

「虐待」を子ども本人には認識させずに、罪と屈辱の意識だけを植え付けたため、

私は20年近く、虐待という認識が無かったのでしょう。


「権力」や「委縮」は、体への虐待だけにとどまりませんでした。


母が感情的になって、「ぎゃーぎゃー」まくし立てている時に、

よく「まただんまり?」とさらに怒られていました。


…だって「ぎゃーぎゃー」まくし立てられて、

何が言い返せますか?(苦笑)


そこで何か言ったとしても、その言葉に逆上することはわかっていました。

だって感情的な母の気が済むことはなかったのですから。

だから黙ってしまうと、それはそれでさらに怒られる。


正座させられて怒られて、黙ってると太ももとか顔とかも、平手打ちされたり。

もぅ何やっても、その体罰からは逃れられない絶望感。


…書いててすごい恐ろしい場面だったんだなぁと実感(苦笑)

だから気が重くて書き進められなかったんだ。


編集画面で単語の断片だけを散らばせては、

PCやスマホがフリーズしないうちにこまめに下書き保存して、

全然進みませんでした(苦笑)


でも母のおかげで、反面教師になりましたよ。

姫が本当にしてはいけないことをしたときには、

どんなに小さくても、「なぜそれがいけないのか」理由を滔々と説いて、

教え諭すように心がけるようになったから。


だって「ぎゃーぎゃー」怒ってるだけじゃ、

その鬼みたいな形相と怒鳴り声しか記憶に残らなくて、

ナゼ怒られてるか、理由が全然わからなかったもん(苦笑)


だから「だんまり」にもなっていたんだけど。

返答しようにも、わからなくちゃできないからね~(苦笑)


小さい頃の姫は、「教え諭し」も、正確には理解できなかったと思います。

だけど「理由を教える」ということはとても大切なことなので、

今も指導の際には滔々と…


あれ!?

アクビをかみ殺してませんか~!?(自爆)


でも私は怒りませんよ(笑)

だって姫がアクビしたくなっちゃうほど、まだ心には響かせていなんだから。

私の教え諭し方が長すぎて、要点がわからなくなっちゃうことが多いので、

私はこれからも指導の仕方を改善する必要があるのです(笑)


あとね、この際だから書いちゃうけど、

冗談で母から、

「アンタは橋の下から拾われてきた」とか、

「アンタはできそこない」とか。


その場では笑っていたけど、

幼い時は「お父さんとお母さんの子どもじゃないのかな…」と本気で傷付いていたし、

いくら私がjwの教えや親に従順でないのだって、それは一般の反抗期と同じだし、

体が弱かったりするのなんて、私自身がどうにかできるものでもなかったのに、

自分の子どもに「できそこない」はないでしょ(苦笑)


母は私を生んだことすら、否定してるみたいだよ。


だからね、

ショコラ♪さんの「人生リセットボタン」 の記事を読んで痛烈に思ったのです。


私がずっとずっとリセットしたいと思っているのは、

あの母から生まれてくる前のところだって。


「あの母じゃなければ…」

普通親にそんな感情なんて、抱きませんよね。


でも私は、あの母じゃない人から生まれたかった。

だから私には、母娘間の「ストロゲー」なんて存在しないのです。


…ちょっと苦しくなってきた。

けどまだ書く(笑)


「母が私を生んだことを否定」から連想すること、

本当は書かないつもりだったけど、今後の記事で書くのも嫌なので、

書いてしまおう。


母から自分の存在を否定されていると感じていたから、

私自身も「自分は必要のない人間」と捨て鉢になっていて、

自傷行為は普通にしていました。


元jwの方の中には、心を病んでしまった方も多くいらっしゃると目にします。

私もその一人でした。


だ~っと列挙すると、

リストカット、神経症(ノイローゼ)、安定剤と睡眠薬の多量服用、過呼吸、救急搬送、呼吸停止、安定剤と睡眠薬の薬物中毒…


華原朋美が薬物中毒の時に「安定剤をポリポリラムネみたいに食べていた」という話があったけど、

私もまさにそれでした。


しかもアルコールで流し込むっていう (^^;



その薬は、自宅でまどろんで抜きましたが、
それがどれくらいの期間だったのか、一日の中でも朝なのか夜なのかわからず、
そのときに書いていた日記の字はグニャグニャ、
記憶もほとんどありません。

肝臓?

たぶん壊れてます。脳も(苦笑)


今でも安定剤の作用が少しでも入ったものが体に入ると、

ぐにゃぐにゃになるか、プラスチック製品なら軽く破壊する怪物になります(苦笑)

なので今は医者にも言って、もらわないようにしています。

うっかり出された時には、主人に預けています。


過呼吸は救急搬送された先で呼吸停止したけどすぐ蘇生して、

前夫には「感謝しろよ」と言われたけど、

私は「なんで助けたの」という思いしかなかった。


よくドラマとかでも「助けなくて良かったのに」という人に、

「バシッ」と平手打ちするシーンとかあるけど、

なんで平手打ちされるほど怒られるのか、わからなかった。


だって「助けてくれなくて良かった」「なんで助けたの」という人間側でしたから。


…バカですいません m(_ _ )m


いつもいつも「死」に憧れていて、それで楽になりたかっただけの、

バカな逃避人間なだけです。


でも今はその逃避も消えているので、大丈夫です o(^-^)o

えぇ、私は思考がお子ちゃまなのです(自爆)

年だけは一丁前に取っていってるのに、アタマがついて行っていない「アダルトチルドレン」なのです。


私は以前主人に、
「子どもの頃、普通のことを教えてもらわなかったから、いまだに常識的な考えができない。
以前の環境もダメダメだったから、私は子ども並の思考しか持ち合わせてなくて、
これからあなたに教えられて成長していく」
と、何度か言ったことがあります。

個人的にメッセージをしている方が、

それをとても納得できる計算式にしてくれました。


少し言葉は違っちゃってるけど、

親がjwを始めるまでの年数+自分がjwから離れてからの年数

それが、いわゆる普通の人としての常識的な思考や感覚を持った年齢に当たるのではと。


私の場合、私が4.5歳ごろに母がjwの勉強を始め、

自分がjwをやめてから19年くらいなので、

単純計算すれば、25歳前後の思考のはずなのですが…

申し訳ないのだけど、前夫と過ごした15年間は、

前夫にも自分にも色々あって、ほぼ成長率がなかったので、

やはり私は今の主人と一緒になってから改めて育ててもらっていることから、

まぁ10歳前後のアタマしかないワケなのです(自爆)


前夫が出てきたところで、

今まで言っておきたかったことを言っておこう(笑)


このブログはもぅ8.9年前からやっているので、過去には時々前夫が出てきましたが、

良いところ“しか”書いていません(笑)


ブログなんて、そんなもんよねw

はい、前夫についてはおしまい(笑)



そんな荒れ果てた心の持ち主である私が、

愛など持ち合わせているわけがないと思っていました。


ですが少しずつ気持ちの整理をしていくにつれ、

そして色々な方と色々な話や共鳴をしていくにつれ、

「愛」とは、意識して作るものではなく、自然な気持ちから出るものと教えていただきました。


わかりやすい「好意」とか、

沸き立つ「大切」「大事」という感情だけじゃない。

無意識のうちに出る「ありがとう」や、
自分が悪かったら謝る「ごめんなさい」も、愛だと知りました。



「アガペー」って「神的な愛」と考えてしまうから、

「自分には神的なものなんて無いし~」と思ってしまうけど、

「無限で無償の愛」と考えると、自然な気持ちから出る気持ちこそが愛なのだろうと思います。

ココまでネコ好きさんで読んでる方がいるかな?


複数匹のご病気のネコさんを飼ってお世話しておられる、

うにゃさんの過去の記事「ホ・オポノポノ*ホタ・ポノポノ」 は、

そんな感じなのかな…と思いました。


その記事では

「ホ・オポノポノは、ハワイに伝承するセルフ・アイデンティティー・ヒーリング」

とあり、それをするには、

「ありがとう。ごめんなさい。許して下さい。愛してます。」

と、思いを込めて言葉をつぶやくのだとか。


「愛」という形についてこだわったり、構えたりするのではなく、

常に人に対してこのような思いを抱くこと、

そして無意識のうちに、そのためのことをしてあげること、

それこそが「愛」なのかもしれません。



うにゃさんのこの記事は、一年半前と少し古いのだけど、
ちょうど期限内に引き取り手が見つからないと殺処分されてしまう多頭ネコの拡散記事が出て、
涙ながらに主人に一匹でも何とかならないかと訴えて、
そこでトラちゃんを引き取ることが決まった時期で、
色々思い出と、そして愛の溢れるうにゃさんの思いとが重なって、
ずっと今でも心に残る記事なのです。

そして、「愛を知らない」「愛が無い」と嘆く私に、

「愛」を気付かせてくれた桶さん、本当にありがとう。


桶さん のブログでは、2世の苦しい心情を理解して下さっている記事もたくさんあるので、もしよろしければ。

(特にたくさんの記事へのリンクも貼ってある、ダイジェスト的な感じの「悲しすぎる…」 は、

私にとってはとても有益でした。勝手にリンクして、ごめんなさい)



でも先程も書いたように、私は最初から、こういう考えになったのではありません。


最初はjwという異常な環境のせいで、いわゆる「不幸な子ども時代」を過ごしてきたこと、

そして「大人」という年になっても、ずっと苦しんでいることに、

jw組織に対しはもちろんのこと、

その取り巻くすべてのもの、聖書とかエホバ神とかへも、すべて怒りと憎悪を感じていました。


でも今は少しだけ、考え方が変わってきたように思います。

そこで私はjwに関わった人には、三つのタイプがあるのではないかと考えるようになりました。

(ここで再び分類好き(笑))


ひとつめは、私の昨秋に再覚醒した当初のように、

統治体へも聖書へもエホバへも、すごい嫌悪感を感じるタイプ。


2世は過去のムチや様々な規制や就職問題や心の病など、様々な苦しみを抱えているので、

もぅ何もかも大嫌いになることが多いかもしれません。


ふたつめは、悪いのは聖書の解釈と神の姿を捻じ曲げて、

jwたちに自分たちの人間的な見解と基準を押し付ける統治体であって、

聖書には良いこともたくさん書かれているし、

神についてもjwが宣べ伝えている「エホバ」という姿は間違っている思ってるタイプ。


jw組織の「組織的な間違え」に気付いた人は、

現役だろうが離れた人だろうが、とても多くいらっしゃいます。


私はまだ、「信仰」というものは無いけど、

確かに聖書で良い教えの「霊の実」は、あてはめれば有益だと思うし、

(いや、まだあてはめられてないけどね(笑))

ある方のプロフィールを見て感動したのは、

様々な自然の美しさを感謝するという一文。


確かに人為的に造られたものではないものが、地球にも宇宙にもたくさん。

それに人間だって、進化とか創造とか論議もあるけど、

たとえ何かから進化したとしても、

(だからといって進化派というワケではない)

その何かの一番最初は、動物であれ植物であれ、すべて命あるものが起源であって、

命あるものなんて、自然に偶発的にできるのかな~

と思うのです。


朝陽が昇って、夕方には陽が落ちて、

緑の葉や色とりどりの花、川のせせらぎ、水の飛沫、etc…


いつもは普通すぎて忘れてしまう自然たちのありがたみ。


もしそれをどうにかしてくれた存在があるのなら、

「感謝」という思いを抱かなくてはと思い出しました。


話は脱線しましたが、


みっつめは、統治体の教えを、

聖書や神の言葉だと勘違いしているタイプ。


もぅこれは言わずと知れた…ですね(苦笑)

jwを離れた人にはいないタイプです。


ということは、jw信者の引き算方式で言っても、

やっぱり一番の間違いは統治体って答えが出てくるのですが(笑)


最初はひとつめのように、そして昨秋の私のように、何もかもが嫌悪と憎悪にまみれているのは、

当たり前だと思います。


そこで「違うよ」なんて、絶対に思いません。

だってそれだけの気持ちを植え付けられる組織だったのだから…



この記事の内容を書くに当たって、

「可哀想な子」で「構ってちゃん」と思われることが、一番恐れています。


私がこの記事や、「元jw2世」 というテーマでカミングアウトしているのは、

もしかしたら元jwの中に、私と同じような思いや苦しみや悩みや忌々しい過去などを持つ方がいるかもしれない。


そのような方と少しは記憶や気持ちが共有でき、「ひとりじゃない」という心強さや安心感を抱いて、

気持ちが楽になってくれれば…

という思いがあります。


でもむしろこの記事で苦しくさせてしまった方も多くいらっしゃると思います。

その方には、本当にごめんなさい。

本来ならコメント欄を開放して、
気軽に「私も同じです」と書いていただいても良いのでしょうが、
(いや、そういうことは人目があるところでは、あまり気軽に書けないか?(笑))
時間の都合などでコメントのお返事ができない状態が続くとプレッシャーに感じる性格みたいなので、
(元jw記事に限らず)
コメント欄は開けていません。

ですが苦しい思いを打ち明けたくなったら、
メッセージでも大丈夫です。

お返事がゆっくりでもお許しいただけるなら(笑)

最後にこの記事でかなり消耗したので、

やはりメッセージとかコメントとかご訪問とか、ちょっとお待ちくだされば嬉しく思います m(_ _ )m



そろそろ夕食作らなくちゃなので、とりあえずの更新につき、

あとで加筆修正があるかもしれません。


時間無くて読み返してないよ~(苦笑)