自己紹介② | 妊活コーチ佐藤ゆき♡穏やかに氣を整えるだけで自然に妊娠できた♡

妊活コーチ佐藤ゆき♡穏やかに氣を整えるだけで自然に妊娠できた♡

働く女性のための夫婦で妊活講座主宰♡
心配・不安・ジレンマをゼロへ!

こんにちは♪

妊活セラピストの佐藤祐季です。

前回の自己紹介①に続いて

第二弾です。

子どもを死産した後のドン底生活です・・・

 

*自己紹介①はこちら・・・・

 

数か月はぼ~っとしていました。

どう生きていいかわからなくなりました。

本当に子どものことを愛していたんだなって思いました。

 

 

 

それまで持っていた、目標、物欲、夢・・・

そういった類がまったくなくなりました。

無気力状態。

涙であふれてくる。

周りが心配していろいろと

声をかけてくれるのですが、

まったく響かず。

 

 

「しょうがないんだよ。」

→そんなふうに思いたくない 


「子どもが選択した道だから」

→あなたに子どもの気持ちなんて分かる?

勝手なこと言わないで。

 

 

何を言われても、逆につらくなるばかり。 

周りはやさしさや心配で

言ってくれているんです。

それがわかるだけに、声をかけられることが 

嫌になってしまった。 

 

 

そこで、明るくふるまうことにしました。

もう大丈夫なわたし!

明るく生きようとするわたし!

そんなふうにふるまっていれば、

周りが心配することもそのうちなくなるだろうと。

 

 

前向きに生きるため。 

そして、社会から取り残されたくない

気持ちから、新たに就職活動をし始めます。

実はこの時旦那さんが会社を譲渡し、

ふたたび転職したので、

わたしは職もなくしていました。

 

 

この時24歳。

たかだか社会人歴2年のわたしに

社会は厳しかった。

 

 

面接がまったく通らないのです。

就職して最初の会社を1年で

退職してしまったので、

履歴書は見栄えのいいものでもありません。

 

 

そして妊娠期間中の空白期間に何をしていたか、

必ず聞かれるのです。

 

 

今思えば正直にこたえる必要も

なかったと思いますが、

ばか正直に死産経験を語ると、 

自分でもおさえきれずに

面接中に泣きだしてしまい、

結果うまくいかないのです。

 

 

精神的にどんどん追い詰められ、

ぼろぼろでした。

社会から無能な人間といわれているようで、

自分のことを責めまくっていました。

 

 

 

思い出すのが、とあるぼろぼろ面接の帰り。

渋谷駅前の献血ルームに立ち寄りました。

何か社会に貢献したくて、

認めてほしくかったからです。

 

 

でもその日。私は献血ができませんでした。

出産して6か月以内の献血は認められず、

問診にひっかかってしまいました。

 

 

 

女医さんから、

「これ、チェックがついているけれど、

どういうこと?」

と聞かれました。

実は死産してしまったことをほそぼそ話したら、

その女医さんは、

「そうか・・・・たいへんだったのね。

よくがんばったわね。」

とゆっくり返してくれました。

涙がとめどなく出てきて、 

嗚咽するくらい泣きました。 

 


”ただただ他人に話を聞いてもらう”という経験がそのとき初めてだったからです。

「ドリンクを飲んで落ち着いてから 

帰りなさいね。」

と言ってもらいました。

 

 

 

当時の女医さんにはほんとうに

感謝してもしきれません。

 

 

 

その後、派遣ですが大手飲料メーカーの総務職に通り、働き始めました。

働くことで、きもちが和らぐことはありました。

仕事がとてもたのしかった。

社会に接することはやはり

自分の癒しにはなりました。

でも、前向きさと後ろ向きさのくりかえし。

夜中にはっと目が覚めて、

泣きだすこともあるし、

仕事中に涙がとまらなくなることも。

 

 

もっと自分をいそがしくして、  

考える時間をなくそう・・・と、

正社員として、広告代理店の企画営業で

働き始めました。

 

 

これが激務で、会社に泊まり込むことも

あったり、企画のローンチ(発表)

がある日は旅行先にPCをもっていって、

確認するくらい、神経擦り切れる日々でした。

 

 

夫婦の時間もあまりなかったです。

 

 

とことん働く続けるも、心のバランスがとれず、

今思えばうつ状態になりました。

 

 

 

そして思ったのが、

何をやりがいとして働きたいか。

ということです。

 

 

広告代理店に勤めていると、

求められるのはひとつ。

”売り上げ(数字)”です。

 

 

でも自分の価値観がそこにあるようには

思えなかった。

死産してからずっとひっかかる

自分の人生の意味。

目標も、物欲も、夢も、まったくなくなった

経験があったため、

何が自分の人生に価値を見出したかった。

生きる道を見出したかった。

 

 

 

そんなときに思い出したのが、死産の時に一緒に泣いてくれた看護師さんの存在です。

棺をもって病院から自宅に帰る時、玄関まで見送ってくれた看護師さんですが、

「つらいね・・・ごめんね。わたしが泣くなんて。。でも止められないのよ。」

といって私を抱きしめておいおい泣いてくれた看護師さんがいました。

 

 

脱力し、何も考えることが

できなかったわたしは、

その看護師さんのおかげで

少し現実にかえることができました。

しっかり子どもを天国まで送り届けようと。

 

 

看護職は、多くの人のクオリティオブライフを応援できるんだなと思いました。

たとえ患者さんが退院するとまでいかなくても、人の人生の岐路に

立ち会うことができ、さりげない言葉や行動が

その人の人生に役立つこともできる。

 

 

わたしもそんな生き方がしたいな・・・・

 

 

 

そう思い、26歳で看護学校入学を

決意しました。

猛勉強の末、看護学校に合格し、

27歳で入学することになりました。

 

 

続きは自己紹介③で!