マイラ ~「○○」らしさの「○○」には、やっぱり「自分」と入れたい その1 ~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

筆者がまだ子供だった時分にリバイバル公開された1本の映画『恐竜100万年』#1 。名作『ショーシャンクの空に』#2 で、ティム・ロビンス扮する主人公の独房の壁に、ポスターが貼ってあった事でもお馴染みの映画である。『恐竜100万年』は、『アルゴ探検隊の大冒険』#3 で、素晴らしいモデルアニメーション(関節が稼働する人形を使ったストップモーションアニメの事)で、見事な骸骨とのチャンバラシーンを見せてくれたばかりのレイ・ハリーハウゼンが、『アルゴ~』の監督ドン・チャフィと再度組んで、リアルな(あくまでも当時の話よ)恐竜を描いた作品である。

 

筆者は「恐竜と原始人が同じ時代に居る訳無いじゃん」などとクソ生意気な事を言うマセガキだったので、ハリーハウゼン御大の作り上げた恐竜よりも、原始人のヒロインを演じた、グラマーな金髪美人ラクエル・ウェルチにばかり目が行っていたのであった。

 

そんな筆者にとっての「ヰタ・セクスアリス」となった一人、ラクエル・ウェルチは、1960年代から1970年代初頭に掛けて、ハリウッドのセックスシンボルとして様々な作品で活躍し、当時「20世紀最高のグラマー」とも評されていた。その彼女が、本年(2023年)2月15日に82歳で亡くなった。そんな歳になっていたんですね。そりゃそうだ、筆者もすっかりオッサンであります。

 

航空宇宙エンジニアのボリビア人の父と、アイルランド系アメリカ人の母のもとに産まれ、10代の頃は数々のミスコンで優勝していたと言うラクエル・ウェルチ。1958年にはサンディエゴ州立大学に奨学金を得て入学。演劇を学ぶ為だったらしいけど、結構良い大学の様なので、高校の成績は優秀だったのではないでしょうか。才色兼備ですね。

 

その翌年、高校時代からの恋人ジェームズ・ウェルチと結婚。地元テレビ局でお天気お姉さんを務めたりしていたが、子供が産まれたりやら何やらで色々忙しかったのであろう、大学は中退してしまい、1964年には離婚もしてしまいます。しかし後年「四度の結婚生活において、一番良かった結婚相手はジェームズよ」と言う様な事をインタヴューで答えていた様なので、最後までウェルチ姓を名乗っていたのを思えば、二人いる子供の父親でもあるし、ずっとジェームズの事を思っていたのかもなぁ、などと思いました。

 

そんなラクエル・ウェルチが主演した問題作、『マイラ』( 『 Myra Breckinridge 』 1970年 アメリカ )を今回は紹介したいと思います。

 

アメリカの老舗映画制作会社「20世紀フォックス」は、この当時、大ヒット作を何作も出していたにも関わらず、エリザベス・テイラー主演の『クレオパトラ』#4 の巨額の制作費が回収出来ず、経常赤字が続くピンチに陥っていた。そこで、低予算でヒットを出したいと考えて制作したのが、ラス・メイヤー監督の『ワイルド・パーティ』#5 である。ラス・メイヤー監督は、主に1960年代から1970年代に掛けて完全自主制作の低予算ヌード映画でヒットを飛ばし続けていた人物である。筆者の敬愛する監督の一人であります。

 

それと同じ時期に制作されたのが、本作『マイラ』である。当時そのスキャンダラスな内容で大ヒットを飛ばした、ゴア・ヴィダルの小説を映画化した本作と、前述の『ワイルド・パーティ』は、当時の基準からすると過激すぎると言う評価を受け「成人指定」となってしまった。この二作品以外で「20世紀フォックス」に成人指定作品が在るのかどうか、筆者は調べていないので分かりませんが、このメジャーな会社にとって異色作なのは間違いないと思う。

 

独立系の監督や若手監督を起用し、大作路線だけではなく、新機軸を打ち出し、経営を立て直そうと必死だったのだろうが、慣れぬ事をするのはなかなか難しかった様である。

 

アメリカでは、今ではどちらも「カルトムービー」として評価されているこの二作品。『ワイルド・パーティ』を監督したラス・メイヤーはインタヴューで「20世紀フォックスにはだいぶ儲けさせてやった」と語っていたが、本作『マイラ』は、その評価も営業成績もガタガタだった様である。

 

監督を務めたのはイギリス人のマイケル・サーン。『マイラ』の前年に、同じ20世紀フォックスの配給で『ジョアンナ』#6 を監督した縁での再登板だと思われるが、後述しますが、この起用が本作の不評の原因となったのは間違いないだろう。

 

それでは内容を紹介しましょう。

 

かつて西部劇スターとして名を馳せたバック・ローナーは、今はタレント養成アカデミーの経営で成功を収めていた。そのローナーのもとに、甥っ子の未亡人と名乗るマイラ・ブレッキンリッジが現れる。マイラは、ローナーの姉であるマイロンの母も、ローナー同様に現在アカデミーが建っているこの土地の権利を持っていたのだから、マイロン親子が亡き今は、自分がこの土地の半分を相続する権利が有る、と主張する。強欲なローナーは、「ゲイだったマイロンに女性の伴侶が居る訳が無い」と、謎の女性マイラの素性と結婚の有無を探り出し、なんとしても遺産相続を諦めさせようとするのであった。と、こんな所が大まかな内容であります。

 

本作、堅苦しい法廷闘争をする様な映画ではありません。コメディです。

 

そして、そのメインストーリーに、首尾良く講師としてアカデミーに雇われる事となったマイラの日々が織り込まれて行く、と言った具合に進むのですが、冒頭から事有るごとにクラシック映画のシーンが補足説明の様に引用されて来るのである。お陰で本編自体は結構短い物となっている。

 

これはどう言う事かと言うと、原作でマイラが誰かと対峙する時などで、昔の映画の「○○」で誰それが演じた「△△」のキャラクターの様な調子で話そう、とか思っている描写だったのを、本編でのシーンと似た(?)過去の映画からのシーンを引用して強調する様な演出に変えたのである。原作でも映画版でも、かなりクラシック作品に詳しい人じゃないとピンと来ないと思われる。ましてや初公開から50年以上経った現在では尚更だろう。引用された作品を全て答えられたら淀川長治先生みたいである。筆者は『恐竜100万年』は直ぐ分かりました。

 

因みに淀川先生、劇場初公開時のパンフでお褒めの言葉を与えていたらしい。筆者はそのパンフを所有してはいないので、どの様な所を褒めていたのかは分からないのですが、本作の肝が何なのかを知れば、薄っすらと淀川先生の気持ちが分かるかも知れない。

 

先程の内容紹介の部分では触れなかったのですが、本作の主人公マイラ・ブレッキンリッジの正体は、性転換手術をして絶世の美女となった男性、マイロン・ブレッキンリッジなのである。

 

この事は、原作では終わり近くまで伏せられているのだが、映画版では冒頭で性転換手術をするシーンから始めてしまうのである。原作での、タレント養成アカデミーを引っ掻き回す謎の美女の正体は?と言う辺りのアッと驚く感じを、最初っから盛大にネタばらしをしてしまっているのである。

 

その為か、日本での劇場公開時には、タイトルの『マイラ』に、キャッチコピー(?)として、「むかし男だった」なんて余計な言葉が付いちゃっていて、子供の頃、チラシの本を愛読していた筆者なんかも内容も何も知らない頃から、設定だけは知ってしまっていたのだった。

 

日本での原作の初版発売時の帯には「ミス?ミセス?」なんて書かれていて、こちらも微妙にネタバレになっていた。まだ映画化される前の発売なので、マイラ役にエリザベス・テイラーなんて事も書かれていましたよ。

 

ゴア・ヴィダルが書いた原作小説は、映画化される前に二千八十万部(!)も既に売れていたと言う事なので、多くの人にその内容や設定を知られていたかも知れないけども、観客の中には知らない人も大勢居たのではなかろうか。内容を知っていて、それでも観に行く人にとっては、出来るだけ原作に沿った映像化を望んでいるのではないでしょうか。

 

冒頭でネタばらしをしてしまっているけども、粗筋に関してはほぼ原作をなぞっている。違っている点は大体次の三点。まずは今も書いた、冒頭で性転換手術を受けた事をばらしてしまう事。次に、原作では性転換手術は現実の出来事だったのを、映画では夢オチにしてしまった事。そして、筆者としては次が一番問題点だと感じているのだけれども、原作での主題とも言える、マイラの主張、考えをかなりぞんざいにしてしまった事である。

 

では、今回はここ迄として、次回は、そのマイラの主張とはどの様なものだったのかの大まかな紹介と、出演者等に関してダラダラと書き連ねていきたいと思います。

 

#1( 『 One Million Years B.C. 』 1966年 イギリス )

#2( 『 The Shawshank Redemption 』 1994年 アメリカ )

#3( 『 Jason and the Argonauts 』 1963年 イギリス、アメリカ合作 )

#4( 『 Cleopatra 』 1963年 アメリカ )

#5( 『 Beyond the Valley of the Dolls 』1970年 アメリカ )

#6( 『 Joanna 』 1968年 イギリス )