愛しのタチアナ ~ありきたりで退屈な日常に苛ついてるのは若者だけじゃないぜ~ | つれづれ映画ぐさ

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忘れ去られそうな映画を忘れ去る前に

ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」に始まるロックンロール(所説在り)は、エルビス・プレスリーの登場により、瞬く間に世界中の若者を虜にした。まだ、どちらかと言えば「ロック」よりも「ロックンロール」と言う呼び名の方が似合っていそうな時代のフィンランドを舞台に、あまり冴えない中年男女の束の間の道行きを描いた作品が、今回紹介する『愛しのタチアナ』 (『 Pidä huivista kiinni, Tatjana』英語タイトル『Take Care of Your Scarf, Tatiana』 1994年  フィンランド) であります。

 

監督はアキ・カウリスマキ。世界的な巨匠。「フィンランドの」などと言う形容詞も必要の無いくらいである。本作が日本で劇場公開された頃は「準巨匠」なんて紹介されていたけどね。1987年の第二回東京国際映画祭ヤングシネマ部門で『パラダイスの夕暮れ』が上映されたのが日本初お目見え(本公開は2002年)。1990年に自国フィンランドのバンド、レニングラード・カウボーイズを主役に据えた『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』が日本で劇場公開され注目を浴びる。そこからは順調にキャリアを重ね、本国だけではなく世界中で高い評価を得るが、2017年の『希望のかなた』で監督業引退を表明。理由は「もう疲れた。そろそろ自分の人生を始めたい」だそうです。

 

最初の方で、「あまり冴えない中年男女」なんて書いちゃったんだけど、お世辞にもハリウッド映画に出て来る様な美男美女ではない。極々、そこいらに居る市井の人々。イヤ、勿論素人って訳じゃなく全員役者ですけどね。

 

母親と仕立屋を営んでいるヴァルト。母親の吸いかけの煙草を勝手に吸っては、怒られて頭を叩かれたりしている。カフェイン中毒で、母親がコーヒーを切らしていたのにキレて、奥の部屋に閉じ込めて、財布からお金をくすねたりしている。実にしょうもない。イイ歳こいて何をやってるんだか。

 

レイノは車の修理屋。こちらは一人でやっている様である。腕は良いんだか悪いんだかって感じ。ヴァルトが預けた車も、直ったと言ってる割に、変な音を立てて明らかに不調である。まだ調整が必要だ、なんて言って、ボンネット開けて中から何だか取り出して捨てたりしてるし。大丈夫なのか?そしてこちらのオッサンは、ロックンローラーを自称していたりする。何だかなぁ。上は革ジャンを着ているが、下はパンタロンだ。イカスぜ。何?ベルボトム?フレア?イヤ~、ココはパンタロンと言わせて頂きたい。

 

そして唐突に旅に出る。勿論、行く先は決めていない。車中でレイノは、気に喰わない農夫を殴って裁判沙汰になった武勇伝を得意気にしゃべる。ホントか、それ?ヴァルトはカフェイン中毒なのでコーヒーを飲んでいるが、レイノはウォッカを飲んでいる。日本酒で言えば四合瓶位か。そして、蓋を開ける前には、必ず瓶の底を肘に打ち付けると言う、独特のアクションをするのである。そして一気飲み。これが観ていて変に印象に残ってしまった。何の意味が有るのか、初めて鑑賞してから25年以上経った今も不明である。誰か教えて下さい。そう言や、ウォッカの瓶を開ける時と一気飲みはロックンローラーっぽいかも(笑)。

 

夜、運転に疲れたヴァルトが休憩しようと言い出し、とある酒場へ。店の前にはバスが止まっている。どうやらパンクしたらしく、運転手が呑気そうにパンク個所を調べている。乗客のクラウディアは連れのタチアナに、あの間抜けそうな二人に港迄乗せて行って貰いましょうよ、なんて言っている。間抜けとか言われてますよ、ロックンローラー。

 

この間抜けそうな中年オヤジコンビ、最初ロシア語で話し掛けられ、「フィンランド語でしゃべれよ」なんて二人でクスクス笑いしてたりするんだけど、タチアナが「少しは話せるわ」なんて言って、フィンランド語で話し掛けられたら、途端に無口になっちゃうの。ホント、この中年オヤジコンビ、ここ迄の言動も、女子を意識し過ぎて話せなくなる所も、純な中坊の様である。因みに、タチアナもクラウディアも、ごく普通の中年女性である。むしろ、話しやすいと思うんだけど。しかしこの後、中年オヤジコンビは益々無口になっていくのであった。

 

レイノは、立ち寄ったライブハウスで若い兄ちゃんに絡まれ(って言うか、からかわれ、か)粋がって見せるんだけど、まぁ様にならないこと。大笑いである。田舎町でロックンロールに憧れて、一人カッコつけて来たんだろうね。なんかいじましいなぁ。それがイイ歳こいたオッサンってのが、また。

 

無口な道中は、ちっともお互いの感情の交流も無さそうな感じなんだけど、レイノとタチアナはいつの間にかお互い惹かれ合っていたのだった。無言でタチアナの横に腰掛けるレイノ。そっとその肩にもたれかかるタチアナ。ぎこちなくタチアナの肩を抱くレイノ。なんか良いシーンである。この後、遂にロックンローラーの本領(?)を発揮するレイノ。その行動には、ヴァルトもビックリである。

 

この作品、ヴァルトとレイノと言う二人の中年男が中心となって話が進むのだけど、実に対照的な二人である。ヴァルトは、母親と二人で仕立屋を営んでいる。来ている服もスーツ(と、言うか背広と言う方が似合っているかな)。飲んでいるのもコーヒー。対するレイノは、一人で自動車修理工をやっている。私服は革ジャンにパンタロン。ウォッカを瓶から一気飲み。

 

ヴァルトは不満が溜まっている感じがするなぁ。現実から逃げ出す事を夢見ているんだと思うよ。ロックに夢中な若者の様なファッションをしているレイノに、憧憬や羨望の念が在るのかも知れない。アイツはイイなぁって。でも、二人共似たり寄ったりなんだよね。大して金も持って無さそうだし、彼女もいないし。見た目もねぇ、そこいらのオッサンだもん。今風に言えば「陰キャ」か。そして、レイノの思い切った行動で、ヴァルトも「俺もロッカーの様に破天荒な事してやるぜ」って思った行動が、やっぱり中坊レベル(笑)。オイオイ。そして、ヴァルトは今日もミシンを踏むのであった。人生ってそんなモンだし、一歩踏み込んだレイノは、今までとは違う道を行くかも知れないけど、行った先もきっと同じ様に平凡な道なんじゃないかなぁ、と思うのである。

 

誰でも、当たり前の様に出来事を積み重ねて生きて行く。良い事も有れば悪い事も有る。そういった出来事の一瞬一瞬ってのはドラマティックな様な事でも、過ぎれば「そう言う事も在ったな」って感じになって行くと思うんだよね。

 

同じ人生でも、平々凡々で退屈な人生と感じるか、充実した人生と感じるかは、考え方一つだと思うし、結構色んな事が在った人生でも、時が過ぎれば、感覚的には案外平凡な人生だと感じるモンだよ。

 

だから、「つまらない人生だ」って、絶望する必要なんて無いんじゃないかなぁと。アキ・カウリスマキの映画を観るとそう言う風に感じるのです。

 

最後に、出演者に関して少々。自称「ロックンローラー」レイノを演じていたのは、アキ・カウリスマキ映画の常連俳優マッティ・ペロンパー。スットボケタ味わいで、筆者も大好きな俳優でした。劇中のヴァルトのセリフで「ロッカーは早死にする」ってのが在るんだけど、「ロックンローラー」を自称していたレイノ役のマッティ・ペロンパーは、本作公開の翌年に逝去。実際に早死にしてしまったのは、本当に残念な事であった。このセリフ、本来はヴァルト役のマト・ヴァルトネン(前述のレニングラード・カウボーイズの創設メンバーの一人)に対する自虐的なギャグだったのだろうと思うのだが。タチアナ役のカティ・オウティネンもアキ・カウリスマキ映画の常連女優。いっぱい出てるよ。