意見の異なる人たちの間で、苦労した経験はないでしょうか。
それぞれのジャッジ(価値観による判断・裁き)は、なかなか相容れません。


もちろん、目の前で起きた或るできごとに対して
何らかの感情が起こるのは当然のことです。

それは、紛れも無い自身の感情です。
ただ、自身が感じたからといって、
それを誰もが、皆が、そう感じる、
そう考えるのが当然と思うのは、いささか危険だと思います。

また、他の考え方や感じ方をする人を
自分と同じ考えに変えようとするのも無理だと思います。

なぜなら、ジャッジに良いも悪いもないからです。

それなのに、絶対、自分の考えが正しい。
そちらへ導こう、導くべきだと思っている限り、
目の前のできごとに一喜一憂することになりませんか。

自分の考えに同意してくれる人がいたら嬉しい。
自分に都合の良いことが起これば、喜ぶ。

自分とは反する考えの人と会えば腹を立てる。
自分に都合の悪いことが起これば、怒る。

これが悪いこととは言いませんが、
私はオススメできないのです。

私の経験では、
ジャッジを続ける限り、ジャッジすることが連続するんです。

いつも「店員のサービスが悪い」と思っている人は、
態度の悪い人に当たことが多くなり、ますます、
「ちぇっ!なんだよ」と思うはめになるんです。

幸せの大原則は、穏やかな心でいられることだと思いますが、
ジャッジからは、和やかな人間関係が生まれず、穏やかな心とも遠いのです。
だからジャッジしない生き方をお勧めしたいんです。

たとえば、運転中に急な割り込みがあったとします。
「危ないじゃないか!酷いな、まったくなんて運転だ!」←ジャッジ
と、クラクションをうわーっと鳴らすのではなく、

急いでいる車が前に進入してきた
という事実だけを見るんです。

そこから、
危なかったけど、ぶつからずに済んだという事実に気付けます。

ラッキー!

よほど急いでたのね。
「無事に行けるといいね」と、思ってあげたらどうでしょう。
心穏やかでいられるのではないでしょうか。


最後までお読みくださり、ありがとうございます。

今日のしつもん
☆ジャッジしない生き方で何が得られますか?


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