抹茶体験をした後、せっかく着物着たので、
着物で清水寺散策して来ました。


清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の1つである。
また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場であり、鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並ぶ京都市内でも有数の観光地として有名であり、季節を問わず多くの参詣者が訪れる。
また、修学旅行で多くの学生が訪れる。
古都京都の文化財としてユネスコ世界遺産に登録されている。


西門下の龍の像が好き


鐘楼


鐘楼


三重塔 重要文化財


三重塔の下にはお地蔵様がいらっしゃるんですよ。
皆さん、気づいてました?


三重塔 全景


随求道(ずいぐどう)
もとは塔頭慈心院の本堂で、慈心院を中興した僧・盛松により、享保20年(1735年)に建立された。
本尊は大随求菩薩像(秘仏)。
脇侍として吉祥天立像と毘沙門天立像(重要文化財)を安置していたが、後者は宝蔵殿に移されている。
堂の地下の暗闇を歩く「胎内めぐり」が行われている。


西門 重要文化財


西門(手前)と仁王門(奥)


西門からの眺め
仁王門 重要文化財

17時までに着物返却しないといけなかったので、
この日は本堂(清水の舞台)には行かず、折り返します。



お昼ご飯食べてなかったからお腹すいてて、
(抹茶じゃ、お腹は膨れない)
湯葉チーズが気になったので食べてみました。
美味しかったです♡

「抹茶愛す 無糖」という抹茶のドリンクも買って飲みました。

着物着て暑かったので、特に美味しく感じましたね〜。



清水坂にあるお寺、社紋の「三つ盛り二重亀甲に剣花菱」に惹かれ足を止める。

厳島神社の神紋と同じだ。


ちなみに出雲大社は、3つではなく1つの「二重亀甲に剣花菱」です。



お寺には詳しくないんですが、神社参りしてるから、神紋(社紋)には反応できるわたし。
出雲系のお寺なのかな?とか想像を膨らませる。


本堂扁額は「賓徳寺」となっているが、後で調べたら「宝徳寺」なんですね。

 宝(寶)徳寺(ほうとくじ)は清水寺に向かう清水坂にある。山号は霊光山。清水寺の塔頭。  
 浄土宗西山深草派、本尊は阿弥陀如来。

◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 古くより、清水寺一山の無常寺として存在したという。開創は不明という。
 鎌倉時代、時宗開祖・一遍(1239-1289)が開いたともいう。仲光院の北にあったという。(『拾遺都名所図会』)
 安土・桃山時代、1598年、成就院9代・玉圓が建立したともいう。
 江戸時代、1604年、「念仏道場」という小庵があったという。(『坊目誌』)
 1663年、徳空(齢誉)が道場を改め、堂宇を造営したともいう。(『坊目誌』)
 1667年、徳空が中興したもという。(『京都府地誌』)
 1786年、「京都洛中洛外図絵」に記されている。

◆本尊 本尊の阿弥陀如来は、飛鳥時代、608年、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)が42歳の厄除け守護の本尊仏として、自刻したとの伝承がある。
 宮中で無量寿経を説いた際に、経文中の「神力大光を演べて、普く無際の土を照らし、三苦の闇を消除して、広く諸の厄難を救い玉う」を、深く信心し刻んだものという。ただ、後世、他所より遷されたとみられている。
 脇壇に1面2臂の魚籃(ぎょらん)観世音菩薩を安置する。三十三観音に数えられる観音菩薩の一つとされる。唐の時代、魚を扱う美女は、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探して結婚した。女性はまもなく亡くなり、法華経を広める観音とされた。魚籃観音、また、同体の馬郎婦(めろうふ)観音として信仰されたという。羅刹・毒龍・悪鬼を厄除するという。


ここで足を止めてお詣りする観光客なんて誰もおらず、
(自動販売機があるから学生やらがたむろしてるのが若干気になりましたが)
ゆっくり参拝できました。


金色の宝珠の鏡?がひっそりと輝いておりました。



二年坂にトトロを発見!
思わず写真撮っちゃいました。


トトロは(京都に観光に来ている)外国人も知ってるんですね!
写真を撮ってる私を見て、「Oh!Totoro!!」と言ってカフェに向かって歩いていきました。
ジブリって世界的に有名なの?!



レンタル着物を返却し、洋服になって(身軽になって)帰路につきます。

つかの間の「着物で京都散策」を楽しみました。
今度は、お一人様ではなく、誰かと一緒にやりたいな〜。


と、帰りのバス停へ向かう途中、気になる場所を見つけまして…

続く…