カルナック神殿からルクソール神殿へ向かう間に、

実はルクソール博物館へ立ち寄っていました。


そして博物館のお土産屋さんで、

マグネットになってるコースター6枚入りを80エジプトポンド(560円)で買いました。


しかし、後に同じものがクルーズ船のショップで安く売ってるのを見つけるという事態にガーン


そんなこともありますよね〜




ルクソール博物館の中は、カメラチケットを購入すれば撮影できます。


ルクソール博物館とは?

https://retrip.jp/articles/74840/


ナイル川東岸の都市ルクソールの文化施設「ルクソール博物館(Luxor Museum)」は、世界最大級の神殿建築といわれる古代エジプトの神殿複合体・カルナック神殿と、ルクソール神殿との間に位置します。傍らを流れるナイル川は悠久の時を超えて今も豊かに流れ、かつて栄華を極めた世界三大文明の面影を彷彿させます。




ルクソール博物館は、1975年(昭和50年)にルクソール市の周辺で発掘された新王朝時代を中心に、先史時代から中王国時代、イスラム時代の遺物を展示公開するミュージアムです。1989年(昭和64年)にはルクソール神殿の中核であるアメン大神殿の中庭から出土した彫刻24体を展示した特別展示室がオープンしました。














エジプトの歴史と新王朝時代

古代エジプトの歴史は紀元前3000年以前の第1王朝にまで遡ります。紀元前2668年頃に始まった古王国時代・第3王朝期にピラミッドの建設が始まり、ファラオが神格をもつようになりました。それに次ぐ中王国時代・第11王朝は現在のルクソールが1000年の都テーベと呼ばれ、政治の中心として大いに栄えた時代です。

↑アメンホテプ3世の巨像の頭部

新王国時代と呼ばれる時期は紀元前1570年頃の第18王朝に始まりました。古代エジプト文明が最も華々しく栄えた時代で、世界文化遺産に指定されたルクソール神殿などの壮大な建造物やミイラが数多く残っています。エジプトの代名詞といった印象のツタンカーメン王はこの頃のファラオで、盗掘を免れた唯一の王墓の主として副葬品とともに有名です。

↑ツタンカーメンの顔をしたスフィンクス

見どころ①トトメス3世の王像

↑トトメス3世の王像。緑硬砂岩。
カルナックのアメン神殿第7塔門前で発掘された。

トトメス3世は紀元前1479年頃に6歳で在位し、50年余りにわたって統治した第18王朝6代目のファラオです。トトメス2世の妾の子だったことから父王亡きあとは義母でエジプト初の女王ハトシェプストに実権を握られましたが、のちにメギドの戦いで大勝利するなど、“エジプトのナポレオン”と称されるほどの手腕でエジプト史上最大の帝国を築き上げました。


効果的な照明で神秘的に浮かび上がるトトメス3世の胸像はカルナック神殿のアメン大神殿で発掘されたもので、征服王として最も血気盛んだった頃のものといわれます。まるで仏像のように美しいですね。



壁画に残された王像の一部は「アテフ冠をかぶるトトメス3世」と題されています。あごの下に描かれた付け髭の紐が興味をそそります。



見どころ②アメンホテプ4世の王像


第18王朝10代アメンホテプ4世は、王朝発祥の地であるテーベの都と守護神アメン神を捨て、戦を嫌って新都アケトアテンを建設しました。それまで長く多神教だったエジプトから偶像崇拝を排し、姿をもたない太陽神アテンのみを崇拝しましたが宗教改革は失敗。国力は低下しました。写実的な王像は、この時代に流行ったアマルナ様式と呼ばれるものです。


283個の破片からなる約18mの壁画は、アメンホテプ4世によってアメン大神殿に造営されたアテン神殿にあったものです。宗教改革の失敗でアテン神殿は破壊され、アメン大神殿第9塔門の詰め物に流用されたことで直射日光による劣化を免れ、当時の彩色を保ったまま今に至ります。パンやビール作りなど、当時の様子が克明に記録された貴重な遺跡です。



↑ソベク神(ワニの神)とアメンホテプ3世


↑センウセレト1世
両手に持っているのはアンク(通称、天国の鍵)
ミイラのポーズ

↑トトメス3世

↑アメンエムハト3世(センウセレト3世の息子)

↑ハトホル女神の顔が!

↑定規と曲がり尺…これでピラミッドを設計

↑トキは、トート神の象徴。
「トート神」

セクメトの頭部
セクメト女神はライオンの頭を持っている。

アメンホテプ3世(ツタンカーメンの祖父)花崗岩

小さいけれどエジプト屈指の博物館でした。