過去記事「真清田神社」
https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12356008021.html
過去記事「尾張国一之宮 大神神社」
https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12357617356.html
の続きです。
尾張氏を語るには、まず
真清田神社の御祭神である「天火明命」から話すのが良いでしょう。
Wikipediaより
天火明命(アメノホアカリ)は、日本神話に登場する神のひとつ。
天火明命の子孫は「天孫族」とよばれる。
一般的には火明命と呼ばれることが多い。
アメノホアカリの別名。
- 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)(『先代旧事本紀』)
- 天照國照彦天火明尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり の みこと)
- 天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかり)(『日本書紀』)
- 天火明命(あめのほあかりのみこと)(『古事記』)
- 彦火明命(ひこほあかりのみこと)
- 火明命 (ほあかりのみこと『日本書紀』)
- 膽杵磯丹杵穂命
- 天照御魂神(『神社志料』)
名前の「天照国照」「火明」からわかるように太陽光や熱の神格化である。
また、『古事記伝』では「ホアカリ」は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味としており、天皇に繋る他の神と同様、稲に関係のある名前でもあり、太陽神、農業神として信仰されている。
このようなことから天穂日命の系譜、つまり天津神系の出雲神を源流としていることが伺える。
「天照」の名があるが「天照大神」とは別の神である。
元伊勢の籠神社では、主祭神を「天照国照彦火明命」とし、相殿神に「天照大神」としてそれぞれ別の神としている。
主な神社
- 真清田神社(愛知県一宮市)
- 住吉大社(大阪市住吉区) - 住吉三神を祀る。住吉大社を創建した田蓑宿禰は天忍人命を始祖とする尾張氏の一族であり、その子孫が住吉大社の歴代宮司家としての津守氏である。
- 尾張戸神社(愛知県名古屋市守山区・瀬戸市) - 古来より霊山として信仰を集めて来た東谷山と呼ばれる山頂に鎮座し、日本武尊の妃宮簀媛命が尾張氏の始祖を祀る為、第13代成務天皇5年に勧請して創建されたと言われる。
また全国の天照御魂神社は天火明命を祀るところが多い。
始祖とする氏族
『新撰姓氏録』では、天火明命の子孫を「天孫族」としている。
天孫族は大和国葛城の高尾張から尾張国に移り、子の天香山命(あめのかぐやまのみこと)の時に定住し、真清田神社に天火明命を祀ったとしている。
尾張氏(尾張連)・津守氏・海部氏など多くの氏族の祖神であり、海部氏系図(あまべしけいず)にも始祖としてその名が記されている。
穂積氏、物部氏の祖であるニギハヤヒと同一ともいわれる。
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まとめると、
尾張氏は、天火明命を始祖とする氏族であり、
同族に、住吉大社の津守氏や籠神社の海部氏がある。
そして、天火明命はニギハヤヒ(饒速日尊)と同一神かもしれないということ。
大神神社の御祭神:大物主神もまた、ニギハヤヒと同一神という説もあり、
そうすると、真清田神社の御祭神:天火明命と大神神社の御祭神:大物主神は、共にニギハヤヒとなる!
ニギハヤヒについては、また後日取り上げて書きたいと思います。
そして、やっぱり私はここが疑問
尾張国一之宮 真清田神社は、
外削ぎの千木に五本の鰹木で出雲式だったんですけど、
丹後国一之宮 籠神社は「元伊勢」って謳ってるだけあって、
神明造で、内削ぎの千木に六本の鰹木でした。
同じ御祭神なのに、本殿の様式が違うんですよね〜
なんで??
過去記事「彦火明命 ニギハヤヒ」参照
https://ameblo.jp/happylife3749/entry-12086108618.html?frm=theme
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尾張氏が東海地方に来るまでの流れはこちらを参考にしました。
葛城との関係が深そうです。
https://enkieden.exblog.jp/amp/21243979/
尾張氏の遠祖である天香語山命・天牟良雲命・天背男命などは、饒速日尊の東遷(185年頃)に従って筑紫から大和にやってきた。
尾張氏の大和での本拠地は高尾張で、現在の奈良県西部である葛城市の高台(葛城山の麓)です。
日本書紀神武天皇記に「高尾張邑に土蜘蛛がいたので殺害し葛城邑に改めた」とある。
(注:土蜘蛛は、出雲族のこと)
志賀剛著「神名の語源辞典」によると、尾張(ヲハリ)の尾は「丘」、張(ハリ)は「墾(はる)」で開墾した所。
尾張氏は大和にやってきて葛城山の麓の高台を開墾して居住しました。
水田の向こうは湖(大和湖)の岸辺で、東部対岸の大市や海柘榴市(つばいち)などに舟で往来していた。
天香語山命(生年155年頃)はやがて東海地方に移り、尾張国の基礎を造るが、13代成務天皇の頃(4世紀前半)、大和の尾張氏は東海地方に移って尾張国を拡げた。
大和葛城に残った一部の人々もいた。
山城国や河内国に移った人々もいる。
葛城市の南部には葛木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ)、通称笛吹神社(ふえふきじんじゃ)が鎮座する(奈良県葛城市笛吹448)。
葛木坐火雷神社の元の祭神は火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)で、笛吹神社の元の祭神は天香山命です。
現在は両神社が合祀されて祭神は火雷大神と天香山命です。
1874年(明治7年)、笛吹神社の末社であった火雷社を笛吹神社に合祀し、社名を葛木坐火雷神社に改め郷社とした。
社伝によると、平安時代に葛木坐火雷神社の社勢が衰え、当地にあった笛吹神社の末社になった。
笛吹神社は、当地を拠点とした笛吹連(尾張氏の一族)によって祀られた神社で、本殿の背後に古墳がある。
その古墳の主を祀る為の神社だったようです。
古墳の主は尾張氏の一族でしょう。
神域である周囲の神山に80基ほどの笛吹神社古墳群があるが、その中に笛吹連の祖・櫂子(かじし、かじこ)の墳墓や、櫂子の父・建多乎利命の墳墓があると考えられる。
神社の神域だから発掘できないようです。
火雷大神系と尾張氏系の両方の墳墓があるのかもしれない。
海部氏の系図には建田勢命(高天彦、7代孝霊天皇に仕える、妃は葛木高田姫)の兄弟は、建宇那比命と宇那比姫がいる。
海部氏と同族の尾張氏の系図では建田背命(建田勢命)の弟に建多乎利命も記されており、笛吹連(ふえふきのむらじ)等の先祖になっている。
笛吹神社の宮司家である持田家の系図も海部氏や尾張氏系図と同じく、祖神を天火明命として6世孫(7代目)に建多乎利命の名が記される。建多乎利命の子である櫂子(かじし、かじこ)の子孫が持田氏で、現宮司は85代目。
祭神の天香山命は祖神天火明命の子神であり、饒速日尊に従って大和に東遷、この周辺を高尾張として本拠地にした。
また、尾張氏は葛城氏の女性を多く妃としているので、尾張氏と葛城氏は密接な関係にある。
また天皇家とも密接に繋がっている。
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次回は、もう少し更に掘り下げて書きたいと思います。
続く…