自分が自分のことを知らないままにしておきたかったのは、
くさいものに蓋状態ですごしてなかったことにしたかったのは
自分の悪いところ、見たくない部分をあるって認めたら
直さなきゃいけなくなりそうだったから。
子どもの頃とかに
性格を直そうとしたり
悪い部分をなくそうとしたり
そうしなさいって教わってたけど、
それがすっごいストレスで。
上手く出来なくてとても惨めだった。
直そうとしてきても出来なかった。
性格悪い!直せ!
人に合わせろ、相手の気持ちを考えろ!
って
大人になっても言われて
そういう状況全てが
自分のせいだとおもっていたから
全部自分がわるい、わるい、わるい・・・って
思って疲れてたまってキレての繰り返し。
不満の塊だった。
この経験たちにうらみつらみが山ほどあるんだけど、
周りを責めるのと同時に
それを経験してしまったのは自分のせいだとおもって
ずっと自分を責めてたのね。
自分の悪いとこ、直せなかったせいだと。
だから、自分のことを直さなきゃいけない!!って強く思ってた。
これ、間違ってるからね。
過去の自分にすげー言いたいから
もう一度大きく書くけど、
これ間違ってるからね!!!!!
積極的になれても
自分のネガティブやマイナス面に触れそうなものには
めちゃくちゃに否定的だった。
自分を直さなきゃいけない、は病気だよ。
直さなきゃいけない信仰とも言える。直さなきゃ教かもしれん。
それは間違ってる。
まじで。でかでかと書いたとおり間違ってんのよ。
はい、ありますね。
これ、すねとか否定感とかいてあるけど
結局は
愛されたい。
だけなんだよね。
で、いまだにこうやって
ぼろぼろ出てくるんだけど
わかるとさ、な~んだっておもうのよ。
性格を直すとか直さないとかって
問題を切り替えてごまかしているだけで
本当はただ、愛されたいとか
幸せになりたいとか
そういう気持ちがあるのを
認めてないだけなんだよね~
で、そういうの認めないと
拗ねるし
不満たまるし
キレるし
妬む・・・
マイナスやネガティブに分類される面が増幅して出来上がってくる。
いまだに母親に愛されたかったんだと思うと
抵抗感すごいよ、
キモイなとおもう。
でもそうおもう自分も、自分。
愛されたいのも、抵抗感も、キモイのも全部ね。
自分のココはいや、ココはOK,って
分けるのをやめただけ。
分けるのやめたら、楽になったなとおもう。
いろいろと悩んだりするとこはあるんだけど
でも楽だよ。
自分の全部をじーっとみて、
ここはいい、ここはダメ、ここは直さなきゃ、
ここはどうのこうの・・・って
延々やってた頃は疲れすぎて何も出来なかったからなぁ。
小説かいてみたいとか
絵を描いてみたいとか
そういうの考える余裕なかったもん。