テキストの記事を書き直したら
すごい熱が入ってしまった。
ちょうど、今朝みた夢がそういう夢だったんだよね。
昔の友人の夢。
友人に、ちょっとした意地悪をされて
それにたいして「もうやめて」と言う夢。
起きてからとてもびっくりした。
はっきりとやめてと言い切った自分。
それにびっくりした。
自分が一番、したかったことだった。
実際なにかされて
嫌だといったこともあるけど
大体は私が間違っている、と周りに言われたり
相手が何で怒っているのかが理解できなくて
わからないまま謝ったらキレられて。
ということが多かったなぁ、と思う。
大体の場合、私が間違っていたとは思うよ。
基準を世間一般とか常識とかにするとね。
私は気がおかしくなってる、頭が変なやつだとおもう。
人間関係がわからん。
だから苦しかった、だからつらかった、だからめちゃくちゃ悩んで、
結局もういらねぇ、とおもって
疎遠になった。
自分が嫌だと思う関係性を清算した、とかではなく
もう単純に疲れた。
だからもうどうでもいいとおもって捨てた。
だいぶ前の話だけどね
詳細は違えど、いっつもいっつも同じように人間関係で悩むってことは
たまたま、周りが悪かったとか
相性がミスマッチだったとか、そういう話ではない可能性が高いじゃん。
認めたくないけど
私がなんか、要因なのは間違いないなぁと。
誰に対しても気を使い
誰に対しても距離をとり
距離をとっていない風を装い
とりあえず見栄を張って
いい顔をして
相手のご機嫌を取ろうとして
うまくいかずにイライラして
相手のせいにしまくって、
悪口や愚痴をいいふらかして
というのが私だった。
じゃあ、それを全部やめたらいいな、とそのころは思っていたけど
たぶんね、やめるんじゃなくて
「なんで?」が必要だったんだなって。
当時は、やめようとおもってもついやってしまって、
また繰り返した、といって
絶望だけしていたけど。
なんでそうしたん?っておもうと
やっぱ出てくるのは、寂しい、なんだよね。
一人では寂しい、寂しいと思われてはいけない、
寂しいと感じてはいけない
寂しいのは負け、寂しいのは悪いこと
寂しい人間だと思われたら親不孝だ
みたいなね。
で、なんで寂しいのか?って質問に変えると
わかってもらえないから、って思う。
誰にも知られない
誰にも理解されない
何を?って聞くと
自分を、って答えになる。
その、誰にも知られないと寂しい自分とは
どういう自分なの??
って思うと
自分でもわからなかった。
私のことが、自分でわからない。
結果として
自分で自分のことを知ろう
に行き着いた。
人間関係に悩みまくってた当時の私。たぶん23歳くらいかなー??
若いねぇ。
それまで私は私の顔の形すら
いまいち認識していなかったし、
人間関係でバチバチに悩んでいた学生時代や
20代前半なんて
ほぼ、自分の名前すら把握していなかった。
下の名前で呼ばれると「気持ち悪い」とおもったし
自分の名前大嫌いだったし。
見た目のことですらそうだから
中身のことなんてほぼ見えてなかった。
それにネガティブやマイナスなことは
認めたくなかった、治さなければと思ってた。
その、認めたくない、なおさないといけない、と
思うことのオンパレードが
マイナスコードカットでいっぱい出てきちゃった。
たとえば、執着。
たとえば、恨み。
たとえば、後悔。
たとえば、不安。
そういう感情が暴発して
あっちこっちにマイナスコードをつなげまくってる。
たとえば、親に
たとえば、彼氏に
たとえば、お客さんに
たとえば、知人に
たとえば、見ず知らずのとても有名な人に。
最初は認めることすらできず
「きっとこれは間違っている」なんて思っていた。
でも出てきちゃうんだよね。
そして認めづらいと思うほど
心当たりがありすぎると思うのも事実だった。
耳が痛い。みたいな感じね。
時間がたって、長く長くやっていくにつれ
楽になるほど、いろんなことがほぐされていくほど
スピリチュアルに頼った自分を責めている部分もあったんだよね。
自力でやれよって。
・・・・・・・・いや、自力やん
今の形のマイナスコードカットにしたのも
それを自分に行ったのも
行うと決めたのも。
使った時間も労力も全部私から出てる。
私がやってるじゃん。
たとえそれが誰かにやってもらうことだったとしても
それを受けると決めるのも
受ける代金も
私から出てるでしょう。
出来ないことをお願いしているだけの話だった。
そうやって悩みつつ、紆余曲折しつつ
結局また同じことを繰り返してしまったりもしつつ
今まできて思うことは
寂しい、はそのままで良かったな。
ってこと。
自分を知る中で、寂しいを消化して、文字通り消してしまおうとしてきたんだけど
いやもう普通に寂しいがあってもいいのか、って。
寂しいのを認めないから
上につらなる感情が暴発するんであって
寂しい自分のままでいいよって思うと
暴発というのはなくって
かわりにその寂しい自分に寄り添う自分が出現した感じ。
出現って言うのもおかしいけど
そういうことを選べる自分が生まれた、選択肢があったと気づいた、そんな感覚。
駄々こねたくなったり
わめきたくなったりする自分もいるけど
人に攻撃しにいくほどに
わめき散らすことはないような感じ。
ここがゴールとは思わないけれど
あのころの私がここまで落ち着いてんのすごいなぁって。
ほんと、きち○いだったとおもうよ。
自分の感情をまったくコントロールできないし
その暴力のようなエネルギーを人にぶち当てまくってキレ散らかして。
ねちねち人を責めたり。
大迷惑というか災害というかなんというか。まじで害。
まぁ頭がおかしいのは今と何の代わりもないし
やっぱり人間関係はわからん。