【天国に還るために今からできること】
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人生の「疑問」「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです
死後地獄に堕ちる人が後を絶たない。
なんと50%以上の人が地獄に。
死んでから後悔するか? 生きているうちに対処するか?
地獄に堕ちないためには、なぜ地獄に行くことになるのか。その原因を知ることが大事です。知ることで、天国に還ることも可能です!!
「あなたに天国に還るために今からできること」をご紹介します。
ブログ 【天国に還るために今からできること】
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今日のブログは、Happy Science『あなたの知らない地獄の話』より “欲望のままに生きる人が堕ちる「畜生地獄」” をご紹介いたします。
霊界は、完全に、信仰の偏差値による輪切りの世界
【目次】
1. 顔は人間、体は動物、小桜姫が語る「畜生地獄」
2. 動物の姿になる人の性格の特徴
3. 欲望のままに生きると、畜生地獄に通じていく
4. 畜生地獄から脱するために必要な「人間としての悟り」とは
5. 人間がこの世に生まれてくる意味
6. 稲荷信仰の“怖い”話
7. 神社に祀られていた蛇の霊を叱る
小桜姫:さて、次は四番目の地獄です。
ここにいる人たちは、顔だけは人間で、体は、馬であったり、牛であったり、鳥であったり、蛇であったり、豚であったり、さまざまです。
それぞれ自分の心性に合った動物の姿をしています。なかには、空を飛ぶコウモリのようになって、洞穴に逆さにぶら下がっている人もいます。
さて、この「畜生地獄」に来ている人は、人間としての尊厳を忘れて生きてきた人たちです。「肉体即我」という自覚のままに生き、本能と欲望の赴くままに生きた人たちの生末です。
猜疑心の強い人は蛇のような姿、欲望を抑えきれない人は犬のような姿、人をだまし続けてきた人は狐のような姿になって、畜生地獄をつくっているのです。
そして、最も注目すべきところは、「彼らの大部分が、何百年も、この地獄にいるうちに、自分をその動物だと思い込んでしまう」という点です。
これが、実は、「動物霊の憑依」と言われている事実の真相なのです。
自分を蛇だと思い込んでいる地獄霊、自分を狐だと思い込んでいる地獄霊が、生きている人間に憑依しては、人間を苦しめているのです。
ですから、霊能者が「現象」を行うと、蛇のように身をくねらせる霊や、狐のまねをする霊が、人間の言葉をしゃべったりするのは、それが、ほとんど、畜生地獄に堕ちた人間霊だからです。
ほんとうの動物霊も確かに存在はしますが、人間の言葉をしゃべるのは、よほど古い霊に限られ、霊障といっても、軽度なものが多いようです。
彼らは、こうして憑依することによって、ますます、人間の道を大きく外れてゆき、明るい天上界に還ってくることが難しくなってくるのです。
『大川隆法霊言全集 第26巻』より一部抜粋
■動物の姿になる人の特徴
「畜生地獄」という言い方は、わりに少なく、やや独特な言い回しです。普通は、「畜生道」や「動物界」と言われています。
この地獄も、芥川龍之介の小説「杜子春」に出てきます。
仙人に弟子入りした主人公の杜子春は、修行として、「絶対に口をきくな」と言われます。
そして、修行中のあるとき、杜子春の魂は体を抜け出して地獄に堕ちていき、亡くなった両親と出会うのですが、両親は「顔だけは人間で、体は馬」という姿になっていました。
杜子春は、「声を出すな」と言われていたのに、とうとう「お母さん」と声を出してしまいます。
そのため、人間世界に戻されてしまうのですが、仙人から、「あのとき、何も言わなかったら、おまえは人間として失格だった」というようなことを言われるのです。
こういう話がありますが、なぜ、人間だけれども、動物の姿になるのでしょうか。
それは、あの世の世界では、その人の心に合った姿に変わるからです。姿形は心の反映であり、心の表れなのです。
これは、あの世と言わず、この世でもそうでしょう。人の性格は顔に出てきます。
例えば、だんだん、きつい顔になってくる人もいれば、動物に似てくる人もいます。貪欲な人や食べ物に意地汚い人は、ときどき顔が動物っぽく見えてくるときがあると思うのです。
映画「千と千尋の神隠し」にも、主人公の両親が豚になり、食べ物を貪るシーンが出てきました。
嫌な観察ですけれども、食い意地が張って、食べて食べてしている人を見ると、豚のように見えることがあります。豚は貪欲の象徴なのでしょう。
あるいは、嫉妬心や猜疑心が非常に強い人は、蛇のような性格に見えることがあります。
そして、顔も目もそのように見えてきて、蛇のような、嫉妬心や猜疑心が強い感じのものが見えてくることがあるのです。
それから、物をすぐに盗んだり、他人のものが欲しくなって奪ったりする傾向が強い人は、動物で言うと犬のようなところがあります。
他にも、動物のなかには、恐怖心が強いものがたくさんいます。恐怖心が強くて逃げ回り、暗くてじめじめしたところが好きな動物もいます。
このように、いろいろな動物がありますが、それぞれに象徴しているものがあります。
「ライオンは勇気の象徴である」
「羊は平和の象徴である」
などと言いますが、それぞれの動物に何か象徴があるのです。
そのため、「神様がいろいろな動物を創り分けた理由は、『心の在り方として、どういう種類がありうるか』ということを見せるためである」という説もあります。
確かに、一つの動物についてその特徴を考えてみると、一定の傾向を持っていることがわかります。
そして、その傾向自体は、心の自由自在性から見ると、人間にもありうるものなのです。
もし、自分自身の心のなかを覗き、ある特殊な動物に似ている傾向があると思うなら、それを反省しておかなければいけません。
そうでなければ、死後、あの世に行き、自由自在の心になってくると、そうした動物の姿になってくる可能性があるのです。
男女の問題においても、嫉妬に狂って相手を締め上げて苦しめたり、ストーカー状態になって追いかけまくったりしていると、
大蛇にでもなったような気分になるでしょう。心境的にはよく似ているのです。
もし、自らの心の在り方が何かの動物に似ているように見えたら、反省したほうが良いと思います。
そうでないと、その傾向に引きずられていくことがあるのです。
■欲望のままに生きると、畜生地獄に通じていく
人間と動物とを分ける一線は、どうしてもあります。「人間としての悟り」というものはあるので、それを持たないと駄目なのです。
そして、動物性から逃れるためには、反省・瞑想・祈りを通して、自分自身の精神性を高めることが非常に大事です。
これをせずに現代生活だけをし、物質生活のなかで欲望のままに生きていたら、ほとんど、この畜生地獄に直通していきます。
例えば、満員電車に乗っていると、痴漢が出ることがあります。
男性の欲望のなかには、目の前に女性の胸やお尻が来たら、「触りたい」という気持ちがあって、これはおそらく99パーセントの人にあると思います。
ただ、「痴漢行為を積極的に延々と続けたい」という気持ちに対して、多少なりとも魂の葛藤がなければ、おかしいのです。
本人としては、「お金を払わず、タダで女性にエッチなことができて得した」と思うかもしれません。
お金を払うところに行くと、何千円も何万円も取られてしまうので、「これが毎日、楽しみ・・・・・」などという人もいるとは思います。
ただ、問題点として、相手の気持ちが分からないところに、「人間性の欠如」が感じられるわけです。
相手は、どう感じているのでしょうか。出勤することに対して、ものすごく不愉快な気持ちを持っているでしょう。
毎日、こういう手合いが来たら、その日一日、もう仕事にならないぐらいの不愉快感が当然あると思います。やはり、相手の立場に立たなくてはなりません。
だだし、行為は同じでも、心に応じて天国にも地獄にも変わります。
例えば、恋人同士の場合、一年付き合っても手も握ってくれないなら、今度は寂しいものです。
「彼は冷たい。一年付き合っても、手も握ってくれない。キスなんかとんでもない。何もしてくれない。私は『痴漢』と叫ぶ気はないのに、どうして手を握ってくれないのだろうか」と、嘆くことになるでしょう。
恋人同士なら、同じような行為をしても、今度は天国的な行為であり、愛を確かめる行為になります。
このように、行為は同じでも、「心の在り方」によって」精神価値はかわるのです。
やはり、痴漢的な行為を繰り返し行うようなら、畜生道のほうに通じていくものがあると思います。
おそらく、何らかの動物に近づいていくでしょう。そういうことを知っていただきたいのです。
気の毒な限りですが、人間として生まれて、死後、こうした動物のような姿になっている人もいるのです。
なお、畜生道は、インドの転生輪廻の思想によく出てきます。
インドでは、「生まれ変わる」という場合、「この世に生まれ変わる」というよりは、「死後、四十九日が過ぎたら、あの世で生まれ変わる」ということを意味しています。これはチベットも同じです。
仏教的な思想にも、「あの世へ還って四十九日ぐらいは、行き先が決まらず、宙ぶらりんだが、その後、天界から地獄界までの、いずれかの世界に生まれ変わる」という思想があります。この四十九日の思想は日本にもあります。
要するに、「肉体を持って生まれ変わる」ということだけではなく、「霊としても生まれ変わる」ということを説いているのです。
「生まれ変わる」という言葉の使い方として、あまり区別がつかないかもしれませんが、インドやチベットのほうでは、「霊界の生まれ変わり」をかなり言っています。
一方、西洋のほうは、それを否定するかというと、そんなことはありません。
プラトンの教え(『国家』)を読むと、「死後、裁判官に裁かれて、それぞれ穴のなかに入っていく。そして、ある人は白鳥に生まれ変わった」というようなことが書いてあるので、ギリシャ哲学にもあるのです。
このように、死後、あの世に生まれ変わるのであり、あの世では、自らの心に合った姿が現れてきます。このことをよく知っておいたほうがよいでしょう。
したがって、この地獄から脱するためには、「あの世では、自らの心に合った姿が現れてきて、自らの心に合った世界に行く」という悟りを持つことが必要です。
この悟りを教えているのはどこかというと、今は幸福の科学ぐらいしかありません。
伝統的な仏教やキリスト教など、古い宗教ではよく分からないのですが、幸福の科学の教えを読むと、よく分かるのです。「思いのままに姿が変わってくる」というのは、その通りでしょう。
例えば、同じ奥さんでも、怒り狂っているときは夜叉のように見えると思います。霊的には、唇が耳まで裂け、角が生えているように見えます。
「あなた、この時間まで何をしていたのよ。ワイシャツの襟首に付いてる口紅は何? このライターは何? このタバコは怪しいわ。家を出るときにはなかった」などと、何かを見つけたときの怒り方は、夜叉か鬼のようでしょう。
逆に、指輪でもプレゼントすると、天女のような”おもてなし“をしてくれたりします。
同じ人でも、そのように変化するわけなので、あの世へ行って、怒りの心が現実化して、固定化してきたら、それに合った姿に変わるのです。
これは恐ろしいことです。しかし、「自由」ということ、「人間の自由性を認める」ということを突き詰めると、やはり、こうなるのです。
反省をしなければ、現代人はこうなることが多いかもしれません。
■人間がこの世に生まれてくる意味
霊言全集のなかで小桜姫は、自分の意見として、「人間に永遠の生命があるというのは、立派な人生を生きている人にとっては、本当に、かけがえのない素晴らしいことですが、
他方、地獄で、のたうち廻っている人にとっては、まさしく永遠の責め苦でしかありません」「人間は、本当の意味での利己主義者にならねばなりません」
「『本当の意味での利己主義者』とは、永遠の生命を幸せに生きようとする人間です」と述べています。
永遠の生命を、この世とあの世を貫いて幸福に生きるためには、やはり、不幸の種をまかないようにしなければいけません。
心には自由性があるため、どのようなことでも思えるのですが、「その中から選び取りなさい」と教わっているわけです。
そして、天国的なるものと地獄的なるを分けて、天国的なるものを選び取るなかに、善悪の判断が働き、智慧が生まれてくるのです。
この、「善なるもの、天国的なるものを選ぶなかに生まれてくる智慧」が大事な宝なのです。
「そんなことをせずに、天国的なもの以外に選べないようにすればよいではないか」という考えもあるでしょうが、それは、ある意味で、自由の否定でもあります。それは非常に不自由なことです。
しかも、この世に生まれてくる意味が、かなり失われることになります。
人間は、「あの世からこの世へ生まれて、この世からあの世に還っていく」というサイクルを繰り返していますが、
そこには、やはり、「この世は、魂を進化させるための一つの装置である」という考えが強くあるのです。
この世は、魂を磨き、進化させるための舞台装置として、非常に巧妙にできています。
さまざまな価値観が混ざり合い、自由に選び取れるようになっています。そして、成功・失敗が分かれてきます。
これを経験することによって、魂は鍛えられ、磨かれ、成功も失敗も生まれてくるわけです。
そういう装置がなければ、あの世も停滞してきます。その場合、永遠の世界はまた、永遠の停滞でもあります。そこで、時折、地上でも人生経験を経ることになっているのです。
■稲荷信仰の“怖い”話
動物界というか、畜生地獄が生まれている理由のなかの一つには、動物信仰もあるかもしれません。
日本には、稲荷信仰や蛇の信仰など、動物信仰をしているところが、結構あります。
例えば、お稲荷さんは、東京でもあちこちにあり、新宿にも稲荷大明神があります。
そういうところで、商売繫盛などの現世利益を狙ってお祈りしていると、それを受け取るものがいて、何かがやってきます。
それが稲荷大明神や狐かというと、かならずしもそうではありません。
今は狐自体が少ないこともありますが、実際は、生前、人間だったけれども、狐等の動物のような欲望を持ち、死後、地獄の畜生道に堕ちている者がけっこう寄ってくるのです。
ですから、「こういうふうにしてほしい」「今月の水揚げ(売上)は、これだけ上げたい」などとお祈りしていると、憑いてくるものがあるのです。
「触らぬ神に祟りなし」と言いますが、動物を祀っているようなところは、少し怖いところがあります。
信仰が立っているので、霊のほうは結構力が増幅されて、狐もまねをしたり、狐の恰好をしたりして出てくることが多いのです。
ただ、狐の恰好をしているけれども、もとは人間というケースがほとんどです。
狐の霊そのものに、人間の稲荷信仰に答えて、ご利益を与えるような力があるとは思えません。ほとんどの場合、それは畜生道に堕ちて、狐の姿になっている人間なのです。
では、狐の特徴は何でしょうか。まず、人を騙す力が強く、嘘をついたり、二枚舌を使ったりする能力があります。次に欲望が強いです。それから猜疑心も強いです。
ですから、「人を騙してでも、金儲けをしたい」というような気持ちを持っている人のところに同通してきます。
そういう人は気を付けた方がよいでしょう。稲荷信仰には、怖いところがあるのです。
また、蛇神信仰のほうはどうでしょうか。私は気持ちが悪くて、信仰する気はありませんが、世の中には信仰する人もいるので、怖いものです。
以前にも話したことがありますが、ある年の春、和歌山県の高野山から、奈良県の吉野という、桜がきれいで有名なところへ行きました。そこで桜を見ていた時、次のような経験をしたことがあります。
山の谷底に、「脳天大神」というものを祀っているところがあり、何だろうと思ったら、脳天を割られた蛇を信仰しているのです。見るからに気持ち悪いと思いました。
「昔、そこに蛇が出てきて、頭を割られて死んだ。その後、人間の夢に出てきて『祀れ』と言うので、祀るようになった」というような話が伝わっていて、蛇を祀っているのです。
それを知って、「嫌なところに来たな。出てくると嫌なので避けたいものだ」と思っていたところ、その後ホテルに帰ると、蛇の霊が出てきました。
こういう所には必ずいるものです。「脳天を割られた蛇の信仰なんて嫌だな」と思っていたら、やはり出てきたので、話をして、「もう、いい加減にしなさい」と、かなり叱ったのです。
その蛇の霊は、人間に信仰されているものだから、いい気になっていました。人が信仰するので霊力がついているわけです。
信仰が集まると蛇だろうが狐だろうが何だろうが、恨み心に霊力がついてきて、祟るなど、いろいろなことをするようになります。だいぶ叱りましたが、人に取り憑いて悪さをしていたはずです。
妙な神社などにお参りすると、その後、こうした悪霊に取り憑かれて病気になったり、家族に障りが起きたりするなど、不幸なことがたくさん起きるので、あまり近寄らないのが一番です。
神社仏閣でも変なところには、欲望の想念や悪霊がたくさん巣くっています。そういう所に行って願掛けなどすると、パクっとやられることが多いので、気をつけたほうがよいと思います。
動物の心を想像すれば、だいたい、どういう心を持つと、どのような動物霊と同通するかは分かるはずです。
動物霊は嫌なものです。
私が商社に勤めていたころ、同じ職場の人で、犬神というか、犬の霊が少し変形したようなものに憑かれている人がいました。
周りの人は、みな、「あの人は一緒にゴルフをすると、少しずつスコアをごまかす」と言っていました。
「その程度の心なら大したことない」と思うかもしれませんが、そういう心は、犬の心に同通していくのです。
いろいろな動物がいるのは何かの勉強のためでしょうが、人間として生まれたなら、人間でありたいものです。
Happy Science 『あなたの知らない地獄の話』 “欲望のままに生きる人が堕ちる「畜生地獄」” より
仏法真理の基本的考え方
正しき心の探求としての「四正道」
幸福になるための四つの道
正しき心とは、身近な言葉で言えば良心のことです。
その究極が、仏の御心、創造主エル・カンターレの御心です。
正しき心の探求をしていくことが、本当の幸福への道なのです。
「四正道」の四つとは、「愛」「知」「反省」「発展」です。
① 「愛」とは、人から「もらう」ものではなく、相手の幸福を願って「与える」ものです。与えきりの気持ちで、相手を幸福にしていく行為です。これを「与える愛」と呼びます。
② 「知」とは、「知は力なり」—— 「仏法真理」を学ぶことで悩みを解決でき、「智慧」が得られます。仏法真理は、そのための最高の教科書であり、参考書でもあるのです。
③ 「反省」とは、人間には自由意志があり、その分、幸福感も生まれますが、間違いを犯すこともあります。反省は、心の間違いを修正し、明るい未来を開く道具です。たとえて言えば、“消しゴム”のようなものです。
④ 「発展」とは、「利自即利他」—— 信仰を通して得られた、自らの幸福や成功を、周りの人へ広げていくことです。この地上においても、幸福な人で満ちた世界を創ることです。
霊界の基本構造観
霊界は悟り(心の境涯)に応じた、多次元の階層に分かれています
3次元:地上界
4次元:精霊界、地獄界
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5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)
6次元:光明界(各界の専門家達の世界)
7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)
8次元:如来界
9次元:宇宙界
・霊界は、天国が圧倒的に広く、地獄はごく一部です。
四次元幽界の一部に地獄があります。そこは、悪想念の曇りによって、仏の光が射さなくなった暗黒の世界です。
ただし、地獄は、天国に対抗できるような大きな勢力ではありません。また、人間は地獄からこの世に生まれてくることはできません。
・あの世に還るときには、この世で生きた心境にふさわしい世界に還ります。
心の世界も、霊界と同じく、多次元構造をしています。私たちの心のなかに、天国があり、地獄があるのです。
その心に応じて、善い心で生きた人は天国に、悪い心で生きた人は地獄に堕ちることになります。
転生輪廻と守護霊
人間は、生まれ変わりを繰り返し、魂修行しています。そして、「魂の兄弟」の一人が、守護霊しています。
・人間は、魂として ”永遠の生命” を持っています
人間の本質は霊(魂)であり、あの世が本来の住処です。数百年に一度くらいのペースで、この世に生まれてきて、また、あの世に還っていきます。これを「転生輪廻」といいます。
・転生輪廻の目的は “悟りの向上”
人間は転生のたびに、新しい環境に生まれ、新しい出会いや経験を経て、たくさんの魂の糧を得ることができます。順境も逆境も悟りの向上のためにあるのです。
・あなたを幸福へと導くために守護霊が頑張ってくれています
この世の魂修行を、安全で有意義なものとするために、各人には、必ず一人、守護霊がついています。
私たちの魂は、原則、六人一組の「魂の兄弟」というグループをつくっています。そして、そのなかの一人が、守護霊を担当しているのです。
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください
潜在意識を使って幸福になりたい方へ
・天使のモーニングコール:夢をかなえる潜在意識の鍛え方
https://www.youtube.com/watch?v=tibfv15bJpE
・天使のモーニングコール:大黒天になるための潜在意識の活用法
https://www.youtube.com/watch?v=tibfv15bJpE
・天使のモーニングコール:強運を引き寄せる 心の法則
https://www.youtube.com/watch?v=kQCdmCIFAgU
・天使のモーニングコール:成功者が実践する潜在意識の使い方
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