【天国に還るために今からできること】
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人生の「疑問」「悩み」「苦しみ」「問題」が仏法真理を知ることで解決できれば幸いです
死後地獄に堕ちる人が後を絶たない。
なんと50%以上の人が地獄に。
死んでから後悔するか? 生きているうちに対処するか?
地獄に堕ちないためには、なぜ地獄に行くことになるのか。その原因を知ることが大事です。知ることで、天国に還ることも可能です!!
「あなたに天国に還るために今からできること」をご紹介します。
ブログ 【天国に還るために今からできること】
・孤独なサラリーマンが堕ちている「土中地獄」【天国に還るために今からできること】
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・小桜姫が語る「無頼漢地獄」【天国に還るために今からできること】
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今日のブログは、Happy Science『あなたの知らない地獄の話』より “競争社会で地獄に堕ちる人堕ちない人「すり鉢地獄」” をご紹介いたします。
霊界は、完全に、信仰の偏差値による輪切りの世界
【目次】
1.慈悲も愛もなく他人を蹴落としてきたエゴイストの集まり
2.火山の噴火口のような、 “スリル満点” の風景
3.芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の世界
4.すり鉢地獄から出るための方法
5.女の友情がすり鉢地獄に変わるとき
6.競争社会で地獄に堕ちる人、堕ちない人
7.「バケツの中のカニに」ならないために
■慈悲も愛もなく他人を蹴落としてきたエゴイストの集まり
小桜姫:この地獄も、恐怖満点といいますか、意地悪ないい方をすればスリル満点です。
見ると、阿蘇山の火口のような、大きなすり鉢状の穴があります。直径は、かなり大きく、優に百メートルはあります。
すり鉢の底では熱湯が煮えたぎっており、ときおり、硫黄臭い煙が中央から立ち昇ってきます。見方によっては、溶岩がふつふつと湧いているようにも見えます。
何千人もの人が、まるで蟻のように群れを成して、この巨大なすり鉢から逃げ出そうとして、崖をよじ登っているのですが、
「われ先に」と思っている人ばかりで、自分の上をよじ登っている人の足首を握っては、引きずり下しています。
永遠にそれを繰り返していますから、いつまでたっても、一人も、この「すり鉢地獄」から抜け出すことができないのです。
岩肌を、石と共に、ごろごろと、次々と転落してゆきます。
この哀れな人たちは、どうやら、生きていたときに、慈悲も愛もなく他人を蹴落としてきたエゴイストの集まりのようです。
けれども、蟻のように、必死になって、脂汗をかいて、よじ登っている人、一人ひとりを見るならば、大会社の重役風の人や、学者風のインテリ顔をした人が、けっこういるのに驚きます。
受験戦争や出世競争で、他人を情け容赦なく蹴落としてきた人たちが、その付けをここで払っているのです。
崖の傾斜そのものは、それほど急でもなく、みなで助け合えば、次々と、このすり鉢から逃れることができるのに、その「助け合う」ということが、何十年、何百年たっても分からない人たちが多いのです。
小桜から見れば、「たったそれだけのことが、どうしてわからないのか」と思うのですが、彼らは、自分が助かることで頭がいっぱいなので、小桜の言葉になど耳を傾けてくれません。
「この忙しいときに、そんなくだらない戯言を言わないでくれ」と言って、はね付けられてしまうのです。
他の地獄界の方々も同じですが、結局、本人の自覚が進むまで、どうしようもないのです。小桜たちも、茫然として、この亡者たちの群れを眺めるたけでした。
『大川隆法霊言全集第26巻』より一部抜粋
■火山の噴火口のような、 “スリル満点” の風景
小桜姫の言う「すり鉢地獄」は、普通の地獄論でいくと、後から出てくる「焦熱地獄」と重なっているように見えますが、この人は、別の地獄として立てています。
焦熱地獄を一体化していることのほうが多いのですが、ここでは、特に「すり鉢地獄」というものを取り出して語っています。
小桜姫によると、恐怖やスリル満点の地獄であり、景色としては、阿蘇山の噴火口のようなすり鉢状の穴があって、直径は百メートルぐらいだそうです。
「すり鉢の底では熱湯が煮えたぎっていて、硫黄臭い煙が出る」と言うことなので、火山の噴火口のようなものと考えてよいでしょう。ですから、焦熱地獄とわりに近いのではないかと私は思います。
すり鉢の中央部では、熱湯や溶岩、硫黄などが出ているので、「落ちるとひどい目に合うから、逃げたい」というような状況にあります。
そして、そのすり鉢のなかに、何千人もの人が蟻のように群れているわけです。
これは、前述した「孤独地獄」の逆です。ある意味で、電車に乗っている現代のサラリーマンたちが、こんな感じでしょう。
ラッシュアワー時には、サラリーマンがウワーッといます。そのように、蟻のように群れている世界が、こちらの地獄では見えるのです。
それは、「自分一人で、ここから逃げ出したい」と言う感じでしょうか。通勤地獄といえば、押し合いへし合いの満員で、「そこから一歩でも早く抜け出して、会社に着きたい」という人が大勢いますが、そのようなものでしょう。
あるいは、何かの方向に向けて、一斉にウワーッ群がっていく感じかもしれません。例えば、バーゲンに群がる女性たちのような姿でしょうか。
この地獄は、「何かの利益や利得に向かって、人々が群がっていく」「昆虫たちが甘い蜜に群がるように、あるいは砂糖に群がるように、人々が殺到していく」と言うような現代感を表しているのかと思います。
■芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の世界
小桜姫によると、何千人もの人が崖をよじ登って、我先に逃げようとしているけれども、自分より上にいる人の足首を握って、引きずり下すそうです。
これは、芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の世界に似ています。
極楽にいるのは阿弥陀仏のはずですが、この小説では、お釈迦様が極楽にいることになっていて、地獄に堕ちたカンダダと言う男を救おうと蜘蛛を助けたことがあった」と言うことで、蜘蛛の糸を垂らすのです。
カンダダは、極楽に向かって、その糸をよじ登っていくのですが、カンダダに続いてほかの地獄の亡者もぞろぞろと登ってきます。
しかし、蜘蛛の糸はあまりにも細く、風に揺れて切れそうなので、カンダダは、「お前らは来るな!これは俺の糸だ。お前らが来たら切れてしまうではないか」というようなことを言います。
すると、その瞬間、蜘蛛の糸が切れて、カンダダは地獄に後戻りしてしまうのです。
こういう話が、芥川龍之介の上手な筆で書かれていますが、これと少し似た感じでしょうか。
これも、地獄の一つの姿です。こちらが「救いたい」と思っても、救えません。相手が、エゴイズム、利己主義を出して来たら来たら、救えなくなるのです。
救われたい気持ちがある。助けたい気持ちもある。しかし、助けようとすると、エゴをむき出しにしてくる。すると、こういうことになるのです。
例えば、映画館などで火事が起きると、「我先にと人が出口に殺到して、積み重なって死んでいた」ということもあります。
ドアが内開きの場合、出口に人が殺到して人垣ができると、ドアを引いて開けることができないので、「外に出られなくて、大勢の人が窒息して亡くなる」などということもたまにありますが、こんな感じでしょう。
整然と出ていけば出られるのに、「少しでも早く自分が逃げたい」という欲のために、みな死んでしまうわけです。
このたとえ話は象徴的なものですが、分からなくはないでしょう。
みな、「自分一人だけが助かりたい」「人は不幸でもいいけど、自分だけは何とか幸福になりたい」という気持ちがあるものですが、これはやはり地獄的な考えなのです。
もちろん、「自分が幸福になりたい」という気持ち自体は、否定できるものではありません。ただ、「ほかの人も幸福になってほしい」という気持ちを持っていなくてはいけないのです。
「自分も幸福、他人も幸福」という考えが大事であり、許される範囲としては、「自分はちょっとだけ、もっと幸福だといいな」というあたりが限界であると言われています。
「他人は不幸、自分は幸福」だと地獄になってしまいますが、一方で、「他人は幸福、自分は不幸」と言うのも、行き過ぎるとよくありません。
自己犠牲が過ぎると、こういう考えの人はみな不幸になりますし、「ほかの人は幸福になっている」と言っても、本当にそうであるかは分からないものなのです。
ですから、そこまで行くと、少しやりすぎかもしれません。やはり、「自分も幸福、他人も幸福」という考えがよいのです。
幸福の科学も、そういうことを教えています。「この世とあの世を貫く幸福」や「利自即利他」を説いていますが、「『自分も幸福、他人も幸福』という考えを持ちましょう」ということなのです。
■すり鉢地獄から出るための方法
「崖から出ようとしている人の足首を握っては、引きずり下ろす」というのは、「自分が幸福になれないなら、せめて他人を不幸にしたい」という気持ちの表れです。
これは、現代の競争社会には多い地獄でしょう。身につまされる人もいるのではないでしょうか。
そして、そうした競争社会のなかでは、お人好しで、「人が成功しているのは構わない。自分は不幸でもいい」というような人は、置いてけぼりを食ってしまうわけです。
実際、「自分が幸福になれないまでも、同じような不幸な人を見ると喜ぶというか、満足する、心が安らぐ」という気持ちは、みなさんも理解できるでしょう。おそらく一度は経験したことがあると思います。
ただ、それに安住してはいけません。本能的にすぐそうなるのですが、やはり、それは駄目なのです。
成功した人やうまくいった人に対して、努力して、祝福の気持ちを持つことが大事です。そうであってこそ、あなたはそういう地獄から逃げられるのです。
「許せない」という気持ちを持つようでは、永遠に出られません。憎しみなどを持つと、それは潜在意識に深く入っていくので、自分も成功できなくなってくるのです。
他人の幸福を否定し、例えば、「あいつが早く課長になったのは許せない」などと言って批判していると、自分もなかなか課長になれなくなります。
昇進自体を否定するような考えが潜在意識に深く入っていき、自らの昇進を妨げるようになるからです。
他のひとがお金を儲けたのを見て、「あいつ、うまいことやって、けしからん。泥棒でも入ったらいいのに。強盗に襲われたらいいのに」などと願っているようでは、自分がお金持ちになることはありません。
なぜなら、自分がお金を儲けたら、その “願い” が実現して、泥棒や強盗が自分のことろにやってくるからです。
■女の友情がすり鉢地獄に変わるとき
ここは、現代的には気を付けなければいけないところかと思います。
現代の世の中を、すり鉢地獄という目で見たら、そのような世界はたくさんあるのではないでしょうか。
そういう心境になるのも分からないことはありませんが、努力して克服しなければいけません。
やはり、成功した人に対して、祝福してあげる気持ちを持つことが、その ”すり鉢” から出ていくためのきっかけになります。
例えば、女性であれば、「一生結婚しないで、一緒に頑張ろうね」と誓い合っていた仲だったのに、誰かが一人っパッと抜け駆けして、突如、電撃結婚したら許しがたいでしょう。
みなで寄ってたかって、「私たち十人は『一生独身』って誓い合ったじゃないの。あなただけ抜け駆けして、突然の電撃結婚って、どういうこと?」と問い詰めたくなるのではないでしょうか。
それに対して、「突然、声をかえられたのよ。で、結婚を申し込まれて、『うん』と言ったら、それで終わりになったの」などと言われても、許せないだろうと思います。
残りの九人は、「結婚なんて、やめなさいよ。不幸になるわよ」と言って、みなで、いじめまくるようなことがあるかもしれません。
このような場合も、相手にそうしたことを言うようでは、そこから抜け出すことはできません。
「結婚した」という人を、みなで囲んでとっちめる。結婚したら、いかに不幸になるかを並べ立て、折伏する。
喫茶店に呼んで缶詰めにし、「結婚したら、仕事が駄目になるわよ」とか、「子育ては難しいわよ。今はお金がかかるわよ」とか、「亭主はすぐ浮気するわよ」とか、さまざまなことを言っていじめる。
このように、結婚を途中でキャンセルさせるように仕向けていると、すり鉢地獄と同じようになります。
そうならないためには、独身を誓い合った仲であっても、誰か一人が結婚して抜け出していくときに、「おめでとう。よかったね」ということが大事です。
そうすると、自分にも何かつてが出てきたとき、スッと乗りやすい心境になれるのです。
また、「おめでとう」と言って、結婚をお祝いしてあげると、言われた相手は、幸福な新婚生活を送っていくなかで、周りの人に、「友達の○○さんは、とても心根のいい人よ。私が結婚したとき、『おめでとう』と素直に言ってくれた。
まさか言ってくれるとは思わなかった。絶対、『お前は不幸になる』と言うに違いないと思ていたのに、祝福してくれたのよ」というようなことを言ってくれます。
すると、それがどこかで、ほかの人の耳に入り、「○○さんは、いい人らしい」ということになって、結婚の縁ができてくることがあるのです。
やはり、努力して祝福しなければ、すり鉢地獄になることが多いと言えます。
■競争社会で地獄に堕ちる人、堕ちない人
昇進においてもそうです。同期同士で出世を争っているような場合、片方だけが昇進したら、もう一方の人は面白くないでしょう。
呪いたい気持ちもあるでしょうし、「不公平だ」と思うかもしれませんが、やはり、「おめでとう」と言うことが大切です。
昇進した人は、気後れしているというか、周りの嫉妬等におびえているものです。
「自分は、周りの人から、『他の人もよく頑張っているのに、あの人が上がったのは特別なコネがあったのではないか。
誰かのお気に入りだったのではないか』などと思われているかもしれない」と不安がっているので、「おめでとう。頑張っていた君が部長になるのは当然だ」と言ってあげるとよいのです。
逆に、「あいつは運がよかった」「あいつは要領がよかった」「あいつはゴマをするのがうまい」「あいつは上司の好きな店に行って、いつも同じ曲を歌い、それで取り入った」などと言っていると、自分のほうが昇進できなくなります。
こうして、すり鉢地獄はいくらでも発生するので、やはり、こういうときには、相手の良いところを認め、ほめてあげることが大事です。
そうすると、自分自身の心境もよくなります。そして、不動心を持ち、平然と仕事をしていると、必ず一、二年以内に自分にも昇進の声がかかってきます。
世の中は公平にできていて、「彼には、少し気の毒だったかな」と思っている人もいるわけです。
しかし、そのときに暴れているようだと、たいてい、「ああ、やっぱりこの人は駄目だな」ということになります。
生活が乱れて酒漬けになったり、家庭で暴力を振るったりしていると、悪い評判が上司の耳に入っていき、結局、昇進に向かなくなるのです。
したがって、努力して、昇進した人をほめたほうがよいのです。
また、自分より早く出世していく人は、会社の中枢部に上がっていく可能性が高いので、そういう人をほめていると、何かのときに自分を引いてくれます。そういう意味でも、良いことが多いのです。
その時、利欲というか、利得を考えてほめるのではなく、できるだけ心底から、相手の良いところをほめてあげるほうがよいと思います。
そもそも、友達にしたい人はどういう人かというと、自分のよいところを認めてくれる人です。やはり、そういう人と付き合いたいものです。
会うと悪口を言われるのなら、付き合いたくありません。そういうものなので、どうか気をつけてください。
小桜姫は、このすり鉢地獄について、「どうやら、生きていたときに、慈悲も愛もなく、他人を蹴落としてきたエゴイストの集まりのようです」
「大会社の重役風の人や、学者風のインテリ顔をした人が、けっこういるのに驚きます。
受験戦争や出世競争で、他人を蹴落としてきた人たちが、その付けをここで払っているのです」というふうに述べていますが、これはあると思います。
競争社会のよいところは、「腐敗しにくい」「堕落しにくい」というところです。
サービスを受けるほうの消費者の側から見ると、供給者に競争してもらうのは非常によいことなのですが、ただ、競争している側の人は、気をつけないと地獄的な心境になることもあります。
競争には、悪の面もあるということを知らなければいけません。そして、それを中和することが大事です。
■「バケツの中のカニに」ならないために
みなが「助け合う」という気持ちを持てば、崖の傾斜は越えられます。
例えば、誰か一人が火口の外まで辿り着いたなら、そこで、手を伸ばして順番に引っ張ってやれば、順番に出ていくとこができるのです。
これと似た話として、「バケツの中のカニ」の話があります。
バケツの中にカニをたくさん入れておくと、一匹が逃げ出そうとしても、はかのカニがハサミでつかんで、引きずり下ろすそうです。
地獄は、人間だけにあるのではなく、おそらくカニにもあるのでしょう。
バケツの上に上がったカニが、下にいるカニを引っ張り上げれば、順番に出ていけるのに、バケツから出ようとするカニを引きずり下ろすのです。これは嫌なものです。
「人のふり見て、わがふり直せ」ではありませんが、「カニのふり見て、わがふり直せ」というところでしょう。
小桜姫は、「たったそれだけのことが、どうして分からないのか」と言っていますが、エゴイスト、利己主義者になると分からないのです。
「相手を引きずり下ろしていると、“安定した地獄” になってしまう」ということが、なかなか分からないのです。
こうした嫉妬心を体系化したものが、共産主義であると言われています。
つまり、平等はよいことですが、「平等から抜け出そうとする人に対して嫉妬して、叩き落とす」という思想があると、良くないのです。
これは、人間の本質的な部分にある悪の部分ではありますが、努力して中和しなくてはいけません。
“嫉妬心のカニばさみ” のようなことは、マスコミにもあるでしょう。「少しでも出ると引っ張り下ろす」と言う、俗物の象徴のようなところがあります。
税務署にも、似たようなところがあります。
まるで、「金儲けをした人間は、悪いことをしている」とでもいうように、税金を取りに来るし、高額の税金を納めても、さらにやって来て、「もっとよこせ」と言ってくるようなところがあります。
そういうところは、気をつけなくてはいけません。そう少し天国的な価値観を持つことが大事でしょう。
小桜姫の霊言には、「小桜たちも、呆然として、この亡者たちの群れを眺めるだけでした」と書いてありますが、たったこれだけのことが分からないのです。
「助け合いなさい」と言っても、聞く耳を持ちません。自分が助かることで頭がいっぱいなので、人の言葉に耳を傾けないのです。
「この忙しいときに、そんなくだらない戯言を言わないでくれ」と言って、はねつけるのです。そういう気の毒な人たちが、この地獄にはいます。
小桜姫は、そういう姿を見て、「この世で人間として生きていくときの人生観が大事である」ということを述べています。
Happy Science 『あなたの知らない地獄の話』 “競争社会で地獄に堕ちる人堕ちない人「すり鉢地獄」” より
仏法真理の基本的考え方
正しき心の探求としての「四正道」
幸福になるための四つの道
正しき心とは、身近な言葉で言えば良心のことです。
その究極が、仏の御心、創造主エル・カンターレの御心です。
正しき心の探求をしていくことが、本当の幸福への道なのです。
「四正道」の四つとは、「愛」「知」「反省」「発展」です。
① 「愛」とは、人から「もらう」ものではなく、相手の幸福を願って「与える」ものです。与えきりの気持ちで、相手を幸福にしていく行為です。これを「与える愛」と呼びます。
② 「知」とは、「知は力なり」—— 「仏法真理」を学ぶことで悩みを解決でき、「智慧」が得られます。仏法真理は、そのための最高の教科書であり、参考書でもあるのです。
③ 「反省」とは、人間には自由意志があり、その分、幸福感も生まれますが、間違いを犯すこともあります。反省は、心の間違いを修正し、明るい未来を開く道具です。たとえて言えば、“消しゴム”のようなものです。
④ 「発展」とは、「利自即利他」—— 信仰を通して得られた、自らの幸福や成功を、周りの人へ広げていくことです。この地上においても、幸福な人で満ちた世界を創ることです。
霊界の基本構造観
霊界は悟り(心の境涯)に応じた、多次元の階層に分かれています
3次元:地上界
4次元:精霊界、地獄界
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5次元:善人界(ここからがいわゆる天国)
6次元:光明界(各界の専門家達の世界)
7次元:菩薩界(ここからが天使の世界)
8次元:如来界
9次元:宇宙界
・霊界は、天国が圧倒的に広く、地獄はごく一部です。
四次元幽界の一部に地獄があります。そこは、悪想念の曇りによって、仏の光が射さなくなった暗黒の世界です。
ただし、地獄は、天国に対抗できるような大きな勢力ではありません。また、人間は地獄からこの世に生まれてくることはできません。
・あの世に還るときには、この世で生きた心境にふさわしい世界に還ります。
心の世界も、霊界と同じく、多次元構造をしています。私たちの心のなかに、天国があり、地獄があるのです。
その心に応じて、善い心で生きた人は天国に、悪い心で生きた人は地獄に堕ちることになります。
転生輪廻と守護霊
人間は、生まれ変わりを繰り返し、魂修行しています。そして、「魂の兄弟」の一人が、守護霊しています。
・人間は、魂として ”永遠の生命” を持っています
人間の本質は霊(魂)であり、あの世が本来の住処です。数百年に一度くらいのペースで、この世に生まれてきて、また、あの世に還っていきます。これを「転生輪廻」といいます。
・転生輪廻の目的は “悟りの向上”
人間は転生のたびに、新しい環境に生まれ、新しい出会いや経験を経て、たくさんの魂の糧を得ることができます。順境も逆境も悟りの向上のためにあるのです。
・あなたを幸福へと導くために守護霊が頑張ってくれています
この世の魂修行を、安全で有意義なものとするために、各人には、必ず一人、守護霊がついています。
私たちの魂は、原則、六人一組の「魂の兄弟」というグループをつくっています。そして、そのなかの一人が、守護霊を担当しているのです。
仏法真理は「真実を知ること」であなたを「幸福へ、健康へ、成功へ」導いてくれるのです。---With Savior(救世主と共に)---
『真実の世界、人生、幸福、健康に生きる方法』を知りたい方は、Happy Scienceの経典をご参照ください
潜在意識を使って幸福になりたい方へ
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