2018年4月17日、3日目です。8時出発
宿泊地アイワルクからベルガマへと約65km(約1時間)世界遺産、古代の医療施設アスクレピオン・ アクアポリス、観光後昼食。食後エフェソスへ約180km(約2時間30分) エーゲ海最大の遺跡が残る、エフェソス遺跡・聖母マリアの家・アルテミス神殿へと・・観光後クシャダスのホテルへ。
朝食はバイキング6時早いです。 パン・果物・スープを頂きます。
8時出発 食後ホテル周辺ウロウロ プールも完備されていますが水は入っていません
プールの側に子猫ちゃん
約1時間(9時)で古代医療施設アクスレピオン到着
ペルガモンが栄えた紀元前4世紀からの施設で、ギリシャの医神アスクレピオスの神託を授かる場所でした。隣に陸軍基地があるので、写真撮影には気をつけるようにと注意を受けます。
遺跡の入り口に位置する「聖なる道」。現在は150m程の距離ですが昔は850m程あったそうです。
道の脇に当時建っていた柱の名残が残っています。緩やかな上り坂となっています。
「聖なる道」を登りきると目の前に広場が現れます。
わんちゃんが先導してくれました。
説明板に復元想像図
ここはプロピロンと呼ばれており、当時は病院の受付の様な場所だったそうです。
入り口付近には彫刻された柱の根元があります。彫刻はこの地方に伝わる故事で、診察を断られた病人が蛇の毒で服毒自殺を図った所、逆に完治したという話を元に作られているという逸話があります。
広場から少し奥に行くと、列柱が建ち並んでいます。
聖なる泉。今でも水が湧き出ています。
さらに奥には小劇場が広がっています。小劇場では演劇などの患者を楽しませる催し物が行われていました。専用劇場があるなんてすてきです。
地下道へと進みます。こちらは治療に使われたトンネルです。天井に開いている穴から「大丈夫、治ります」と神のささやきが聞こえてきたそうです。実際は医者の声だったらしいですが「神のお告げだ!」と患者の喜んでいる顔が浮かんできそう!
トンネルの先は・・半地下状態のためか施設の状態がわかる程度に保存されています。
円形状の建物で昔は総大理石張りだったといわれています。
治療棟であるテレスポロス神殿です。ギリシャ神話の神であるテレスポロスを祭っています。
この神様は治療の神様で、死者をも生き返らせる力を持っています。
神殿の中は個室に分かれていて、そこでマッサージや薬草を使った治療などを行っていました。
この治療院では「聖なる道」により重病人はふるいにかけられますので、治癒率はとても
高かったそうです。
高台の下は半地下施設。
高台から小劇場の遺跡と大理石の回廊跡を望む
古代医療施設アクスレピオン駐車場からアクロポリスを望む。
アスクレピオンからバスで20分程度の山頂にあるアクロポリス遺跡へと向かいます。
ロープウェイ乗り場へと上っていきます。
ロープウェイ内からも石積みが見えてきます。山全体が遺跡のようです。
遺跡入口
入口斜面に発掘された壷・石垣が残っています。
修理復元された城壁が目の前に現れます。
ペルガマのアクロポリス遺跡は標高335メートルの丘の上にあり、一群の建造物で構成されています。
山頂に宮殿、トラヤヌス神殿(ローマ時代のもの)、アテナ神殿、劇場、ゼウスの大祭壇、などの遺跡があります。出土品の大半はドイツベルリンのペルガモン博物館の内部に復原・展示されているそうです。
アテナ神殿跡 紀元前4世紀頃のもの。今は礎が残っているだけです。
アテナ神殿の礎
水道の跡
発掘された石が緑の草原に無造作に転がっています。
ポピーの赤と大理石の白が映えて綺麗
トラヤヌス神殿、ローマ皇帝ハドリアヌスが先帝のトラヤヌスに捧げた全て大理石の神殿。
正面は6柱、側面は9柱のコリント様式。
約2千年前はベルガマ王国には15万人もの人たちが住んでいたそうです。
トラヤヌス神殿
井戸の跡
遺跡反対側はダム湖。
城壁の隙間に黄色い小花がぎっしりと
遺跡とお花畑
順路に沿って遺跡の周りを一周します。
ベルガマの町を・・・
丘の急斜面を利用してつくられた大劇場。1万人を収容したというギリシア世界最大の急斜面の
野外劇場は景色も最高です。
劇場全体は38mもの高さがあります。紀元前3世紀頃建造、ローマ時代に改装されたそうです。
トラヤヌス神殿
石積みとベルガモの町を・・・
ここからの眺めはすばらしく、ベルガマの町が一望できます。
右側大木の辺りが、空の神様【ゼウスの祭壇】の石積みが見えています。
最後にトラヤヌス神殿を振り返る。
きれいなアーチ。
ワイドで、トラヤヌス神殿とアテナ神殿跡を・・
貯水庫、武器庫などがあったようですが、ちょっと区別が付かなかったです。
ロープウェイ乗り場前のお店で、ザクロ100%のジュースで喉を潤しました。美味しかった
昼食場所 昼食はキョフテ料理 どんな料理??
前菜はバイキング
ご飯、パスタも揃っています。
これだけチョイス
これがキョフテ料理 日本のコロッケのようです。中身はミンチ肉みたいです。
昼食後約180km約2時間30分の移動です。一路エフェソスへと・・・
まずは 「アルテミス神殿」 に案内されました。
紀元前16世紀以降、ギリシアから移住してきた人々によってエフェンスの街がおこされた。その中心となったのがアルテミス神殿。現在分かっている範囲で最も古い神殿の基礎は紀元前7世紀頃のものとされているが、実際にはそれよりも古い時代から何らかの神殿が存在していたと考えられている。
世界七不思議のひとつに数えられるほどの価値として認められてもいました。しかし、名だたる歴史家たちを唸らせた神殿もたった一人の若者の「功名心」から灰燼と化してしまった。それは紀元前356年7月21日のことだ。一人の羊飼いが「有名になりたい」「後世に名をのこしたい」あまりに、火を放ったのです。まるで金閣寺炎上ののギリシア版。
高さ19m、直径1.2mの円柱を127本持った壮大な神殿は、6世紀に石材が運び出され、今では湿地に1本の円柱がぽつんと立っているだけ、その柱の上にはコウノトリが巣を作っています。
後方の丘の上に見えるのは向って左がイーサ・ベイ・ジュミィ、右が聖ヨハネ教会。聖ヨハネ教会には聖母マリアとともにエフェソスを訪れ、この地で亡くなった聖ヨハネが埋葬されているという。神殿とモスクと教会が一つの風景の中に共存する場所。
アルテミス神殿遺跡に、アヒルの親子がよちよちと・・・
20分程で、聖母マリアの家です。 鍵形の穴??
「聖母マリアの家」と呼ばれる家は5世紀ごろ信者たちの信仰対象・巡礼地となっていたがその後1891年に小さな礼拝堂が「奇跡的に発見」されたドイツの修道者が啓示受けて、それをもとに見つけ出されたといわれています。
下の駐車場から小聖堂に至る崖沿いの緩やかな坂道には、聖母マリアが、すべての人々を迎え入れるかのように立ってこの家の伝承を記した各国語の案内板が並んでいる。
(トルコに来て日本語初めて見た!!)
日本語のそれには 「この地エフェソスは、イエス・キリストの母・聖母マリアが最後にお住まいになった場所と伝えられている。福音書・ヨハネ伝によれば、十字架に架けられたイエスは、傍らにいた弟子・ヨハネに母・マリアを託したため、ヨハネは母マリアとともに暮らした」。
ローマ法王も参詣したというから、かなり本当のことらしい。
内部は撮影禁止 住居横に内部の写真が置かれています。
聖母マリアの家 左入口 右出口
聖水の泉。 願い事の叶う泉とされ、この泉で手を洗い、紙に書き込んだ願い事を壁に貼り付けてくることでご利益があるといわれています。日本の絵馬とかおみくじにそっくりです。
キリスト誕生の場面が人形で再現
20分でエフェソス遺跡到着
ヴァリウスの浴場
エフェソス内には複数の風呂や泉などが残されている。ヴァリウスの浴場は、エフェソスを訪れる人々、外地から戻ってきた人々が必ず立ち寄って旅の垢を落とす場所だったらしい。
エフェソス内遺跡へと進んで行きます。遺跡入口から入ってすぐのところは、かっての行政地域。集会や選挙などの政治的活動を行っていたステートアゴラ(行政広場)、金融取引所としても機能していた聖堂、そして音楽堂でもあり議事堂としても使用されていたオデオンが密集しています。
前方、オデオン(音楽堂)
エフェスの遺跡には2つの階段状の劇場があります。規模の小さいほう、エフェスの南側の入り口の近くにあり、オデオン(音楽堂)といわれている。当時は屋根があったそうです。
オデオン(音楽堂)へと・・・
小規模な 「音楽堂」 です。
エフェソスでは、このオデオンからセルシウス図書館まで「クレテス通り」という道が通っています。
「プリタネイオンの柱」です。「プリタネイオン」は「紀元前3世紀頃」に建設され、ローマ帝国の
「アウグストゥス帝の時代」 に完成しました。
ドミティアヌス神殿は、かってはエフェソスの街でも最大級の神殿だったと言われています。現在は数本の柱が残るだけですが、かっては巨大な円柱が連なる壮麗な神殿だったということです
ニケのレリーフ「ニケ」は「勝利の女神」です。
メミウスの記念碑・・メミウスの記念碑といって、エフェソスがローマ帝国に反旗を翻したときに虐殺されたローマ市民を悼むための記念碑とのこと。紀元前88年、ローマ帝国の重税に苦しめられていたエフェソスの市民が暴動を起こし、ローマ人を虐殺します。その後、ローマ軍によって、結局、暴動は鎮圧されるのですが、暴動の際、犠牲になったローマ市民の霊をなぐさめるために、この碑がたてられたとのだそうです。
クレテス通りはメイン通りとなっていました。
クレテス通りにあるヘラクレスの門
トラヤヌスの泉・・泉と言っても、現在は泉らしきものは見当たりません。
しかし、元々はここに泉があり、その泉を三面から取り囲むように高さ12mの2階建ての建物があったのだそうです。
クレテス通りに上流階級の民家跡、見学には別料金が必要。
高級住宅地前は美しいモザイクの道が。当時のままだそうです。
ハドリアヌス神殿はローマ皇帝ハドリアヌス帝に捧げられた神殿です。
コリント様式の神殿で2世紀に建てられ、4世紀に一度修復されたものを、近時、再び修復したものだそうです。
正面アーチの上のティケ女神や後ろの両手を広げたメドゥーサをアップで撮ってみました。
公衆トイレ跡
エフェソスの公衆トイレは、オープンエア式。大理石で作られた便座がベンチのようにズラリと並び、催した面々はそこで腰を落ち着けておしゃべりをしながら用を足したそうです。
便器の下は水洗下水、手前の足元には手を洗うための上水も引かれていました。
クレテス通りを進むとエフェソスの華と言うべきセルシウス図書館に出ます。
クレテス通りには、アルシノエ4世の墓所もあります。「アルシノエ4世」は「クレオパトラ(7世)」の「妹」 です。彼女は「捕虜」となってエフェソスに連れてこられました。ただ、完全にアルシノエ4世と確定した訳ではありません」とガイドさんが・・・
図書館から左方向マーブル通りを進むと大劇場に出ます。
セルシウス図書館
元々、ここはローマ帝国のアジア州執政官であったセルシウスの墓所でした。彼の息子が父の業績を記念するために墓所の上に図書館を建造したのです。蔵書数は1万2千だったそうです。
建造時期は2世紀。本来は木と石が組み合わされた建物だったということですが、木造部分が焼失しており、現在残っているのは正面入口部分だけ。それでも大変立派で美しい建物です。
図書館のすぐ隣にある門は、奴隷の身分から解放されたマゼウスとミトリダテスが3世紀に建てたものだそうです。
マゼウスとミトリダテスの門から中を・・・
図書館を見上げる。細かい細工が施されています。
図書館の1階部分には4人の女性像が飾られています。これはコピーでオリジナルはウィーンにあるそうですが、十分美しい。女性達は、それぞれ、知恵・運命・学問・美徳を象徴しているとか。
図書館の門裏側に回って見ました。今は何もありません。
図書館前に今でいう遊郭の跡が・・図書館と娼婦の館が地下道でつながれているという噂。
遊郭内部
図書館から娼婦の館を経て大劇場に通じる道をマーブル通りと言い、ここに娼婦の館の広告と言われるものが残っています。この足型は、これより小さな人は立ち入り禁止という年齢制限の意味だとか、この道の左手(左足)に娼婦の館があるという意味だとも言われています。
兵士の彫刻とネコちゃん 日本では絶対見かけない光景です。
マーブル通りに彫刻が施された柱根元
大劇場・・エーゲ海沿岸では最大規模の劇場だそうです。現在では海岸線は何十キロも離れてしまっているので、ちょっと信じがたいことですが、かっては、この大劇場のすぐそばに港がありました。
海上貿易で栄えたエフェソスですが、次第に水路が狭くなり、船の航行が困難となって衰退していきます。現在では海は遠く、港町だったころを想像するのも困難となっています。
大劇場・・収容人数は2万5000人。舞台から客席の最上段までは60m。
丘を背にしたすり鉢状の構造は音響効果に優れ、今でもオペラやコンサートなどが開催されれいるそうです。
大劇場の前の道は全て大理石でできています。
「ガイドさんが大劇場が一番きれいに見える処ですよ」と・・・
エフェソス遺跡観光終了 集合場所でザクロのアイスを・・・クシャダスのホテルへと・・・
40分ちょっとで、ホテル ル・ブル到着(18時) お部屋です。ちょっと狭いです
ホテルの窓からエーゲ海を・・・
ホテル夕食はバイキング
果物・デザートは盛り沢山あります。
夕食後ぶらーっと散歩 20時を過ぎているのにまだ明るいです。
3日目終了 よく歩きました・・・もりだくさんな一日でした!



































































































