遠い遠い日の心の魔性 | 感動はひとつづつ

感動はひとつづつ

ぶらぶらしながら人生楽しく

「実に恐ろしいものは、人の欲と嫉妬なり」と誰が言い始めたのか知るすべもないが、ずっと語り継がれているのだからそこにはきっと時代を超えた真理があるのだろう。事実は小説より奇なるものであるとしても、よくもこんなに色んなことが起こるものだと感心してしまう。しかもそれは、天変地異などによるものでもない、ほとんど同じような経過を辿ってこの世に生れ落ちた人間のなせるわざなのだから。

それにしても心の奥に潜んでいる欲望は、おびただしいほど厄介な感情を引き起こすものである。物が欲しいと思うと、どうしてもお金がいる。際限ない物欲に捕らわれれば、利欲に目がくらんで、俗気や山気に走ることにもなる。

人を好きになると、相手に振り向いて欲しいと思い、心が通じれば、逢っている時だけ見つめてくれればいいと嘘ぶいていても、そのうちずっと一緒にいたくなって、目に見えない相手の時間や暮らしまで知りたがったりする。そして、やっぱり自分の愛は報われていないのだと、凶気のような嫉妬に振りまわされとうとう自分を見失ってしまう。 

自らの嫉妬心に振り回されるのは仕方ないとしても、それが他者にまで及ぶと、とんでもない悲劇に転じることになる。

そのことだけが不幸を導いたわけではない。けれど、ある友人の心に棲んでいた私への嫉みにきずいていれば、さい疑と不信に心を蝕まれていったひとりの人を、狂気の淵から救いだせたかもしれないという想いが、たまらなく悲しい情景をともなって胸をよぎることがある。その日のことを思い出すたびに、時として悪意に満ちた感情に引きずられてしまう人の心を、恐ろしいと思う。が、理不尽な嫉妬心を操る悪魔は、誰の心にも潜んでいるのかもしれない。

 つぎはぎだらけの人生にほころびは付きものである。繕いのあとには、いつまでも涙がこびりついているし、不意に襲って来る感情のうねりに苦しめられることも、ないとは言えない。それでも、いつもと変わらない穏やかさで、「ねぇ・・・嫉妬は罪悪だよ」と、さりげなくたしなめてくれた彼に、どれほど救われたことだろう。少なくとも、修羅を燃やすような激しい嫉妬にかられることは、いつのまにか遠のいていった。ひとつやふたつの憂いはあるとしても、不幸からは解き放されているのかもしれない