羽生の演技がメッセージ | はっぴー。なブログ☆ありがとう羽生結弦さん

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クリケットのフェイスブックです

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元気なんだね。

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 *よろしかったら前記事あります。ご参考までにどうぞ。
  

ソチオリンピック団体戦で

あれ?

と思った瞬間から




ほんの一瞬と数日で



私の心の中に入ってきた

 
  
 
 



でも、




再び、

本気で心を

奪われてしまったことに


気が付いたのは




羽生選手のことを

知りたくて知りたくて

ネットや

新聞を読み漁っていたときの事。


  
 



この記事を

読んだときかもしれない





金メダル直後は

彼の笑顔の映像や

インタビューは多かったけど

 
 


 





「無力感」のインタビューを

扱った番組は少なかったように思う

 






あまりにも衝撃的だったこの記事




ブログをやっていて

自分で記事を書いていて

震災のことを書こうとすると

自分の記事が薄っぺらく感じるのです。






既出ではあるとは思いますが

3月11日だからこそ

書き起こしてみようと思います
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゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆


羽生の演技がメッセージ

2014 2月17日 
月曜日 読売新聞


オリンピックという名の

歓喜と失意の生命のドラマ。

その中で、

五輪取材11大会目の筆者にして、

初めて体験する記者会見があった。

フィギュアスケート男子で

優勝した羽生結弦。

 


金メダリストが、

自身の喜びではなく、

人々のために

自分に

何ができるのかという葛藤を

赤裸々にぶつけたからだ。

 
  
  


国内外の記者が詰めかけた会見場は、

その重さに静まり返った。







「涙が出そうになった。

どこの19歳が、

あんな深いことを言えるだろう。」




いつもは辛口の

友人の米国記者が、

筆者にそういった。






 羽生は言う。

「震災後スケートができなくて、

本当にやめようと思った。

生活することすらも精一杯の、

ぎりぎりの状態。

たくさんの方々に支えられて、

こうやって今この場所にいる。

だから、感謝の気持ちを持っていたい。」
 
   
 
  
 


 
  






「(金メダルを取ってもあまり笑顔がないのは)

自分に何ができたんだろうかと考えていたから。

僕一人が頑張っても、復興の直接の手助けにはならない。

無力感さえ感じる。」

 
  


 自身の体験を通じ

被災地の痛みの深さを知る羽生。

だからこその思いであり葛藤だろう。

でも無力感とは。






 スケートを再開したとき、

きっと誓ったはずだ。


 
  




 

 


 




自分にできるのは

スケートだけだから、

選手として努力を尽くすことで

人々を支えたい。


 
  
  



 最高の環境をトロントに求め、

ストイックなまでに

練習に打ち込んできた。





羽生が急成長を遂げてきたのは、

自分のためだけでなく、

被災地の人々に

何かを伝えるという大きな目標が、

使命感となって

その体を突き動かしていたからだ。

 
 
 


人が生命をかけて

一つの目標にささげる力。

それが羽生の生命の強さの

原動力でもあった。





でも、

五輪で最高の結果を得た今、

それで被災地の何を変えられたのか。

そんな戸惑いが

言葉になったのだろう。



 
  
  
 
 
  

 羽生選手に伝えたい。


 確かにスポーツの力は

直接被災地を再建することも、

人々に衣食住をもたらすこともない。




でも、復興は、

突き詰めれば

人の力で一歩一歩

築くものだとすれば、

一人ひとりの

心のありようで進み方は

違ってくるはずだ。

あなたの成し遂げたことを、

心の糧にしてくれる人はきっといる。

 



私たちは選手とともに祈り、

ともに感じることで、

自分を重ね、力を見出すのだから。

 
 




大切なのは、あなたが信じ、

伝え続けること。

思いを定め、

努力を重ねれば

何かをつかめるのだと。

 
  



人の絆は、力なのだと。



皆に届けと命を削って舞った、その姿以上に、


 


強烈なメッセージはないのだから。


 




金メダルというのは

地位ではなく、

その力の象徴なのです。


 




スポーツと人の心の力。

形のないものが、

実は最も大きな変化を呼ぶ。

どうぞそれを忘れないで。



〈結城和香子〉1962年東京生まれ。読売新聞編集委員。国際オリンピック委員会(IOC)の取材を担当し、現地特派員として五輪を取材。著書に「オリンピック物語」等。
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書き起こしをしていて

「せいめい」と打ち込むと変換が

SEIMEIになった



せいめい

彼の魂


 
  



ちなみにSEIMEIは数秘計算をすると33になります

彼の誕生数、名前数も33です。

よろしかったら過去記事へ

「SEIMEIの秘密驚いた」





そして

このオリンピック直後の記事には

羽生結弦に振り仮名がうってある

今、羽生結弦に振り仮名を打っている新聞はないよね







当時、直接、被災地の力になれないと思っていた

無力であると思っていた羽生選手。

 
  
  


でも、今は、もう違う

根っこは同じだと思うけど。


メディアに出て、

どれだけの人に訴え続け、

風化させないでと

声を上げ続けてきたことか。

 



そして、実際

直接の支援となっている。








遠く住んでいる私にですら

演技やメディアを通じて




訴え続けてくれる

 
 



決して無力な彼ではない

むしろ

その力強さに、圧倒される


 


彼の魂は

寄り添うこと、というより

共に生きることを、ともに歩むことが当たり前だと

スケートを再開したときに


 
決めたのかな







私自身もブログを通して

被災された方々と

コメントやメッセをやり取りさせていただくことがあります。



羽生選手のおかげで、

素通りしないで





改めて、

生きていることへの

感謝の念を思い出せます。







ご冥福をお祈りするとともに




私にできることをしながら

日々を大切に

溢れるほどの「今、ある」に

感謝をし



全ての「ある」に
ありがとうを言い続け

ささやかな

今の日々を愛していこうと思うのです





今日は

私は




松尾泰伸さん

「天と地のレクイエム」わすれないで。。。

ピアノソロコンサートに行きます

   
  
 
 
  





いつも読んで頂いて

ありがとうございます


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ありがとう

はっぴー。より





昨年のこの日の記事です

君に11☆3.11に寄せて

動画お借りしました
ありがとうございました

少女と再会

5年そしてこれから伝えたい・羽生桃田

復興を支えるスポーツの力

2011JO番宣 震災を乗り越えて

羽生結弦が語る震災①

羽生結弦が語る震災②