NICU時代に想いを馳せる | 超未の息子&低体重の娘とのハッピーライフ

超未の息子&低体重の娘とのハッピーライフ

長男は3月生まれの超低出生体重児。27週1日、751gで生まれてきました。 /その後、2度の流産と2年の不妊期間(治療なし)を経て第二子を39歳で自然妊娠。40歳、38週0日、帝王切開で2480gの長女を出産しました。

昨晩、夢の中に、トイ君がNICUに入院していた時の主治医が出てきました。

「先生!もう覚えていらっしゃらないかもしれませんが、トイの母です。成長した息子に会わせたいので今から連れてきます!」

夢の中の私はそんなことを言っていました。

「覚えていますよ。でも今の姿を見ても誰なのか分からないでしょうね。会いたいので会わせてください。」

夢の中の元主治医はそう言ってくれました。

その後の記憶は曖昧で、元主治医とトイ君を会わせることができたのかは不明です。まぁ、夢なので、そこで違う夢に切り替わったのかもしれませんね。


元主治医は、この世で唯一、トイ君の出生の瞬間を知っている小児科の先生(新生児科の先生)であり、私が親になって初めて出会った小児科の先生です。

帝王切開時に立ち会った先生で、生まれてすぐの751gのトイ君に気管挿管し、NICUに運び、そのままGCUを退院するまで主治医として尽力してくださいました。

トイ君は出生後、間もなくして緊急手術をすることになり、容態が落ち着くまで2週間ほどかかりました。いつ急変して、命を落とすか分からないような状態でした。

容態が落ち着くまでの間、いつNICUに行っても、保育器の前に主治医が張り付いていました。

2週間、まともに休憩すらとれていないのではと思うほど、いつもいました。

その当時は私も心身共に余裕がなくて、その凄さに気が付くことができませんでしたが、あとから気が付いて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

元主治医は、容態説明や検査説明などがとても上手な先生でした。

専門用語は使わずに素人にも分かりやすい言葉を選び、尚且つ、その言葉もかなり慎重に選んでくれているのが分かりました。

超低出生体重児なんて、全身が障害のハイリスクみたいな感じなので、明るい説明は基本的にありません。

母乳を飲める量がこのぐらい増えたとか、そろそろこの管が抜けそうとか、近況としての明るい話はあっても、少し未来の話となると基本的に障害リスクの話にしかなりません。

それでも、親の私たちが不安になりすぎないよう、言葉を選んで親身かつ真摯な姿勢で話をしてくれる先生でした。


元主治医曰く「小学生になった時に、満期で生まれた子たちと同じように、元気に校庭を走り回れることが医師としての目標」とのことでした。

その目標は、見事に、達成できてます。

まだ幼稚園児ですが、満期で生まれた子達と一緒に運動会のリレーで走り、活躍できました。


発達障害のリスクの話もされていました。満期で生まれた子と比べて発達障害が出る確率は10倍高いと言われていました。

中でも発症しやすいのは、ADHDとLDということも言われました。

また、超低出生体重児の救命率が上がってから年数があまり経っていないので、どう発達していくかのデータがないこと、医師としてもどう育つかわからないということも言われました。


おっしゃる通り、個性的な発達で成長しております。かなりの発達マイノリティです。

ADHDに近いけど、完全にそうではないようなところもあります。

遅れているなぁと思う発達が、なんだか急にグンッと伸びたりもします。


NICU時代のことを思い出すと、ここまで成長できて、毎日元気に過ごせていることが奇跡だよなぁと思うことができます。

見た目はもう、そこまで小さくもないし細くもないし、本当に普通です。今のクラスの背の順では前から3番目です。

いつか頭の中の発達も追いつく日が来るのかなぁ。

一応、10歳までに追い付くことが多いそうだけど、まだまだどうなるか。どう育つか分からない超未っ子だもんね。


明るくて元気でいつもニコニコして、天真爛漫。そして、空気を読んで人に優しくできる。  

それがトイ君の取り柄なので、そこはずっとそのままで、成長していってほしいと思います。