もしかしたら以前、何かの記事を書いてる時にも触れたかもしれませんが。
私は、決して子供(自分の娘だけでなく世の中の子供全てです)に言わないと決めている言葉があります。
それは何か。
かわいそう、です
言う人の大半は本当にかわいそう、と思ったからよ、と全く悪気のない人(その言葉が相手にどういう影響を与えるか想像できない人)が多いかもしれません。
でも、子供の立場にたつと、その言葉によって、自分はかわいそうな人間なんだと傷つくケースが非常に多いです。
例えば。
共働きでかわいそう
お母さんいなくてかわいそう
不登校(いじめ)でかわいそう
離婚してかわいそう
等々。
ドラマの セリフではありませんが、
同情するなら、金(あるいは、できることをして)あげましょう
私は子供の頃、母が働いているので、よくかわいそうと言われて育ちました。
当時専業主婦の方が多かったこともあります。
かわいそうの言葉の裏にネガティブな感情があることは敏感な子供の方が気づきやすいです。
けれど、 普段働いている母が滅多に来れない授業参観にきてくれると、私は高学年になってもうれしくて、母の姿をチラチラ眺めて手を振っていました
父と妹と三人で母を駅まで迎えに行くのも楽しかった記憶しかありません。
もちろん、ネグレクトや暴力による虐待、毒親に苦しむような子は別です。
けれど、そんな子供達ならば、のんきにかわいそうと言うより、本当にその子の状況を改善したいなら違う対処があるでしょう。
何もできないのであれば、無責任な言葉だけかける方が子供達には残酷です。
かわいそうって言葉は、反論できないのです。
なぜって、かわいそうとレッテルを張るような人は主観でしか考えていないからです。
いろんな家庭の事情で実際、かわいそうな状況の子供はいるかもしれません。
でもそんなとき、仮に何も出来なくても、かわいそうとは違う、たった一言が子供達の気持ちを楽にしたり救うこともあります。
どんな言葉をかけるか、それが大人の役割だと思っています。
なんでこんな話を思い出したかというと。
今日も芸能人の方の不倫が大々的に報道されています。
子供を置いて信じられない、子供達がかわいそう
ネットのコメントのほとんどはそのような言葉で溢れています。
でも本当に子供達に傷ついてほしくない、と思うならば。
家族の問題は家族で解決することをそっと見守るべきです。
それでなくても、もう子供達は親の不倫の事実だけで、十分傷ついています。
子供のためを思った発言でも、自分の親が批判されれば、それで傷つくのもまた子供なのです。
そんな時、どんな大人なら子供達は安心できるか。
私が子供なら。
自分への同情も自分の親に対する批判も不要なので、
いつもと変わらず、顔を合わせた時におはようって笑顔で声をかけてくれる、そんな距離感で見守ってくれたら、うれしいのではないか、と思うのです