飼い猫の病気

 

まさかの飼い猫の病気の勃発。

動物病院では、今日死んでもおかしくない、とのこと。

 

10年飼ってきた猫ちゃん。

 

昨日まで元気だったのに急に!?

まさか!?と驚きと悲しみと・・・

原因は心臓病で血栓がつまっているのだと。

 

フラクタクル心理学では全てが思考の結果です。

 

今回の件をいろいろな角度で見て見ました。

 

思考は現実化する

 

 私は、特に父に対して、老齢だから病気大丈夫か心配していました。

 心配、恐怖、不安も思考エネルギーです。

 それが、猫ちゃんに現実化したのではと思いました。

 

されたはした

 

 猫ちゃんを病院に連れて行ったり。つきっきりで看病したり。

 心から心配したり。

 それは私が子どものころ、喘息持ちで親にさせたことです。 

 病院に連れて行ってもらっては、看病してもらい、入院までしてお金をかけさせて。

 場合によっては苦しい姿をみせることで、同情をひこうとしたりしていました。

 それが返ってきたのかなとも思いました。

 

どんなに表層意識では違うといっても、無くすものはいらないもの

 

 これは認めたく無かった。

 でも、私は猫ちゃんをお世話しながら、子どものように育てながらも

 「本当の子どもではない」と思っていました。

 人間の子が欲しい、と。

 それは猫ちゃん(にゃんちゃんという名前です)への否定でもあり、

 にゃんのおしっこのマーキングとか、くさくて困っていて、否定も0ではなかったことは確かです。

 また実は私は、にゃんちゃんを触ることによって、手荒れがひどくなり、血が出るほどだったのも原因かもしれません。

 

収支のエネルギー

 

 私は、いま、妊娠を望んでいます。子どもの命を生み出し、育てるのは大変、パワーがいります。

 未来の自分にとって、猫ちゃんまでお世話をしていくほど、エネルギーが無かったのかもしれません。

 何かを得るとは、同時に何かを手放すことになると、フラクタル心理学では学びます。

 子どもを得る為の代償ではないかと、そう感じました。

 

チャイルドの望みと大人の自分の望みの食い違い

 

 私はいま、妊娠を望んでいるので、チャイルドを卒業していっています。

 チャイルドは動物が大好き。可愛い。

 でも赤ちゃんにとっては、ばい菌や、爪のひっかき傷、猫から貰う病気など、危険もあります。

 チャイルドの望みは、にゃんちゃんにいてほしいけれど、大人の私の望みは、

 子どもにとっては危険、万全に望みたい、があったのかもしれません。

 子を守る立場になると、今まで良かったものが、変わる可能性もあるのです。

 

・命の感謝

 

 にゃんの息が私の腕の中で細くなり、死を覚悟したとき

 生まれて来てくれてありがとう 

 私のもとに来てくれてありがとう

 泣き崩れました。

 それはにゃんへの思いでもあり、私への思いでもあります。

 存在することそのものへの感謝

 それは、死というものをとおしてこそ、

 強く感じられます。それもメリットだったのかもしれません。

 

さまざまな考えられることを書き出しました。

そして、その上で、

まだにゃんちゃんには、生きて欲しい。そう思います。

収支のエネルギーを合わすために

私がしていた無駄なこと、いくつかをすべて辞めることにしました。

何かを捨てなくてはいけないのなら

にゃんではなく、違うものを捨てよう。

 

にゃんは

もう足もたたなくなって、目もうつろです。

昨日は1晩もちこたえました。

 

手をにぎりながら、傍にいました。

にゃんはまだ頑張っています。

 

でもどうなってしまったとしても

全てが自分の思考の結果であるから

受け入れることが出来る。

 

それも分かっています。

 

今日も看病します。