生前より母の部屋はみんなの通り道というか、みんなの顔や動きが見えるところにしていました


これは落ち着かないかなと思ったこともありましたが、家族が好きな母だったのでまぁそれもいいかなとチュー

みんな母の部屋を通る時、
夫は寝にくそうにしていないかとか、体を痛そうにしていないかとか体の様子を見る
わたしはつまらなそうにしていないか、
何か欲しそうにしていないか、表情を見る
子どもは目が合ったら話とかできるから眠っていないか見る
そんな風にそれぞれが違った見方で母のことを気にかけていました
それはいなくなってからも同じで、母のいないベッドをこれまでと同じ気持ちで見ているようです

表情を見るのに目が合うかがいちばん大切だったから、しょっちゅう覗いてしょっちゅう目が合ってた
だから母がいなくなってからも覗くと何となく目が合ってる気がしてたんですね

持ち主のいないベッドなんだけど、そこに何となく母を感じるというのかな🤔

だけど数日前から感じなくなってきました
枕の角度も、かけていたタオルケットの位置も、
全てがあの日救急車で運ばれて行った日のままにしてあるんだけどその場所から母を感じなくなってきました

これが今を生きるということなんですかね

生前母が言っていたこと
「いなくなって悲しいとか、度々思い出されるような親は親失格だ。
今生きている人、その人の生活がいちばん大切。
思い出して前に進めなくなるならそれは親の責任だ。」と

己にとことん厳しく、家族にはとことん優しい母らしい言葉だと当時は笑って聞いていましたが最近何となくその言葉を思い出しています

思い出して悲しくなることはあるけれど、思っていたよりも前に進めている気がします

母が大好きだったけど、自分が歳を重ねる毎にあんまりその気持ち伝えてなかったから、
本当はずっと大好きだったことを伝えるために、時間をかけてでも母が喜ぶような前向きな自分になりたいと思っています

今日から日本シリーズ
亡くなった母を含め我が家は全員野球好き⚾
楽しみにしてたんだけどな…
観る気になるかな(。•́ - •̀。)

我が家には阪神ファンもいるから観る気にならないとダメだなてへぺろ