母ですがスプーンとフォークは使いやすいものが見つかったことで、その後も快適に食事をしています


次は食べやすい食器を!と探している中で、子ども用が使いやすいのでは    - ̗̀ ひらめき電球  ̖́- と答えが出たと思っていたのですが…

実際購入し使ってみたことで同じ上手に食べられないでも 子どもと高齢者では大きく違うということに気づきました


子どもはひとり食べの練習をするのに

キレイに食べることを1番に考えないですよね真顔

ひとりで食べられることが嬉しくて、一生懸命スプーンフォークを使って自分の手で食べようと頑張る

だから食器にすべり止めが付いているとスプーンを動かすことに集中できる


母も同じだと思っていたんですね

手が上手く使えないようになってきているので先割れスプーンを使っているのですが、食器が固定されればもっと楽に食事ができるかと思っていたのです


でも常に食器を持って食べるのでせっかくのすべり止めは全く役に立たず(꒪⌓꒪)

私:「すべり止めが付いているのだから置いて食べると食べやすいよ」

母:「食器を持って食べないとぽろぽろこぼすでしょ、だから持って食べる方が安心なのよ」


『キレイに食べる』これが頭にあるので、食べやすさは二の次チーン


それにやっぱり陶器で食べたいんですよね

母は茶器が好きで 好きな焼き物を現地に行って作ってもらうような人だったので子ども用食器はショックだったのかもしれません



子ども用食器で上手くいくと考えたのは甘かったなぁ滝汗💦


『老いて二度児になる』という言葉がある通り

歳を取っていくと子どもに戻るといいますが

衰えてくるのは理解力や判断力であって 全てを子どものように思ってはいけないんだと、改めて思いました


これまで生きてきた尊厳を守る、ということを

もう一度頭に入れて接していこうと思いました


だけど一度弱っていくと、ほんと衰えるのは早いです


しっかり見ているとその衰えをまともに受け取ってしまうので辛い


だけど思う通りに動くことができなくても 残りの人生を少しでも明るい気持ちで過ごすための手助けをしたいとは思う



よく3つの目を持とうという話があります

虫の目、鳥の目、魚の目の3つ

この3つをバランスよく持つといい、

そして自分にはどの目が足りないのか知るといい、

と言われますが、母への対応もこれに当てはまるなとふと思いました


【虫の目】目の前のものを集中してしっかり見つめる目=これは辛くなっても今の母をしっかり見ている目

【鳥の目】高いところから全体を見渡す俯瞰の目=これからわたしが目指そうとしている目

【魚の目】物事の流れや変化を感じその時必要なものや未来を見る目=母が余命を少しでも楽しく生きれるようにサポートしようと、いいものを探している目


私には鳥の目が足りなかったということなのでしょうね

これからは俯瞰して見るように心がけたいと思います💪

まずは俯瞰した目で食器だけでなく、どうすれば上手く食べられるかを考えてみたいと思いますウインク


猛暑は少し落ち着くっていうから期待していたのに全国的に今日も暑いじゃないか☀️😫☀️


油断しないでいきましょう(๑•̀ㅂ•́)و✧