入院 2日目 手術 ③ | 【舌癌闘病記】Be a happy family ~がんを克服して幸せな家族になるぞ~

【舌癌闘病記】Be a happy family ~がんを克服して幸せな家族になるぞ~

読んで頂きありがとうございます。
このブログは、私が舌癌の告知を受けメンタルがかなり弱っていた時期に、たまたまこのアメブロで同病の方のブログを拝見し【とても】元気づけられたことをきっかけにはじめてみました。
つたない文章ですが、どうぞ宜しくお願いします。

「・・・さん、健康美さん、手術終わりましたよ~。」

誰かわからないが話しかけてくる。

「ご自身で呼吸して下さい」

呼吸はしているつもり・・・

どこだここ??

意識がもうろうとしている・・・

この辺の記憶が断片的になっている。

後に嫁さんから話を聞くと、個室のベッドに手術室で移し替えられて移動したらしい。

個室に戻ってくると、嫁さんとお義父さんがいた。

二人とも「手術成功したよ」と言っている。

嫁さんは泣いている様だった。

そういえば、不思議と痛みは殆どない。

酸素マスクを誰かが着けてそのまま去って行った。

部屋には3人だけ残された。

状況をつかみたく嫁さんに話しかける。

私 「お義母さんと弟は帰ったの?」

あれ、しゃべれる・・・?

嫁さん 「もう18:00過ぎたからね。今日は帰ったよ。」

私 「話は聞き取れる?」

嫁さん 「思ったより普通に聞こえるよ。」

自分でも話せているように感じる。

私 「手術は?」

嫁さん 「予定通り4時間で終わって、悪い部分は取り切れたってG先生から説明あったよ。」

お義父さんが今の私の写真を撮って見せてくれた。

首にテープやら、管が見える。

目も虚ろだ。

やっと自分が手術を受け、どういった状態か分かった。

嫁さん 「あまり喋らず、ゆっくり休んだら?うちらもそろそろ帰るから。」

私 「そうだね。ありがとう。」

お互い手を握りあった後、部屋を2人が出て行った。

そこで記憶が途切れた。



次に目が覚めたのは22:00くらいだったろうか。

初日に病棟を案内してくれたO看護師とM看護師が病室に来た。

M看護師が酸素マスクを取ってくれた。

O看護師 「手術お疲れ様でした。体調如何ですか?痛むところはありますか?」

そういえば、喉と右の首の辺りに痛みを感じる。

喉は表現が難しいが、小骨が大量に喉に刺さったような感じ。

そのため、唾や痰を飲み込むと喉が動いて物凄く痛い。

間違えて喉まで一緒に縫っちゃったんじゃない?!と疑うくらいの痛み。

右首はまさに手術したところと、管が出ているところ。

ジンジンするというか喉とは全く別の痛み方。

痛みの比較では「喉>>>>右首>>>>舌」。

私 「はひ、喉と首が痛みます・・・」

あれ、なんかさっきより滑舌悪いぞ・・・

気が付くと、口の中が舌で一杯になっていた。

変な表現だが、舌の可動範囲がやたら狭く、膨張している感覚だ。



O看護師 「それでは座薬いれますね~。体を左に起こせますか?」

私 「ちょっと動きにくいです。」

すると、M看護師が横向きにするのを手伝ってくれる。

そのまま座薬を入れられる。

(後から診療明細で確認したら「ボルタレンサポ」という薬だったらしい。)

痛みと、身体が思うように動かない状況で、羞恥心はどこかに行ってしまっていた。

O看護師 「次のクスリまで6時間空けないといけないので、次は朝食時のクスリで痛み止めになると思います。」

空白の数時間はどうなるんだろ・・・

私がうなずくと、O看護師は続ける。

O看護師 「今夜は1時間おきに様子を見にきますね。」

O看護師 「右手のクリップはモニターに繋がっていて、ナースステーションで監視できるようになっています。外れないようにお願いしますね。」

O看護師 「なにかあれば、ナースコールで呼んでください。手術を終えたばかりなのでいろいろ不便があるかと思いますので。」

そういってナースコールを右手に握らせてくれた。

体が思うように動かない私にとって頼みの綱だ。



2人が去った。

冷静になると、尿道カテーテルが接続されていることに気が付く。

こいつのおかげで、尿道を尿が通る感覚がない。

尿意を覚えても尿を排出できているかどうかわからなかった。

逆にいえば、排尿の煩わしさはない。

不思議と大の方はここまで問題なし。



とはいえ必至に寝ようとするが、なかなか寝れない。

唾を飲み込む際に、やたらと喉が痛いせいだ。

とにかく目を閉じてじっとしているしかなかった。