本日は3月7日の活動報告をと思っていたのですが、7日は双葉町で帰還困難区域の一部が解除し常磐道のインターが開通もしたため、本日は双葉町に特化したご報告をさせて頂きます。
誰もが一度は見たことがあるはずの有名な表号
その表号があったのが双葉町
2011年3月11日に起こった
東日本大震災ならびに福島原発事故の
福島・被災地の中で双葉町だけが
最後まで閉鎖を貫いていました
それは福島第一原発がある町だから被ばくの危険性が高いためですが、それ以外にも色々と理由はあるように個人的には感じています。
福島第一原発の20キロ圏内で警戒区域に指定され閉鎖された浪江町と双葉町と大熊町と富岡町の4つの町の中で双葉町だけがうまく表現できませんが頑なに閉鎖的な対応をされていましたから。
その双葉町が、福島原発事故から丸9年を迎える直前の3月7日にやっと帰還困難区域の一部を解除しました。
どれだけの範囲が解除になるかのかと期待していたのですが…
なんと町面積の4%しか解除されず、その解除されたエリアは常磐道の双葉インターとJRの双葉駅と海側の除染作業で出た汚染物資の保管場所とそれらの周辺のみだけでした。
そのことから復興のためにと国からの命令で仕方なく一部のみ解除したのではと思えてなりません。
※上記の図では5%が解除されたように読み取れますが、それは縦断している国道6号線を含んでいるのだと思われます。
双葉町の解除された当日の7日のセレモニーには「安倍首相」の姿が
写真は、双葉インターと双葉駅
(上記写真2点はhttps://www.jiji.com/jc/article?k=2020030700214&g=polより拝借)
その双葉町の今回解除されたエリアの現在の姿は…
あの日から時が止まったままで
住民の心は既にこの町から離れてしまっているような
手遅れ感が否めないものになっています
◆あの表号があった場所◆
▲表号は取り壊され、その横にあった学校も解体され更地になっています
◆双葉インター◆
▲オープニング直後にも関わらずひっそりとした双葉インター
復興関係車両以外は利用しないのでは思えるほど淋しい雰囲気でした
▲ちなみに双葉インターから大熊インターの間で
小さいけれど福島第一原発が見えます
◆双葉インター近くの公民館◆
▲公民館の時計は、午後2時46分で止まったまま
▲敷地内のあった車はブロック塀で窓が割られ車内窃盗の痕跡が
◆JR双葉駅◆
▲駅舎の時計も、あの日のあの時間で止まったまま
▲報道の車が数台来ていました。
ちなみにこの写真の複数写っている黒い物体はライトアップするためのライト
▲双葉駅のすぐ横にある踏切が作動し、浪江駅方面から試運転の電車が
▲私の事を住民だと思ったのか、運転手さんがピースしてくれました
◆双葉駅前の商店街◆
▲一階部分は完全に潰れ、倒れた自動販売機だけがかろうじて見える状態に
▲解体が進んでいるも、残っている多くの建物はあの日のまま
◆海岸エリア◆
▲他の町では解体されているので今では珍しい
津波で1階部分の壁が無くなっている民家の姿が未だ残っている
▲福島県双葉郡は、東京大空襲時に東京の子供たちの疎開先の1つになった
双葉町のこの防空壕にも東京の子供たちがお世話になったかも知れない
▲海岸エリアの殆どが汚染物資置き場になっていて
汚染物資を積んだ大型トラックがせわしなく行き来している
◆海岸エリアにある双葉区役所◆
▲区役所の敷地内もあの日から時間は止まり荒れ果て
でも、イノシシ用の罠は2箇所に設置されている
▲倉庫には分厚く埃が積もった車や
野生動物の罠が大量に積まれているのがなんだか…
▲駐車場にあるATMは、心無い泥棒に壊され現金が抜かれている
◆解除されたエリア内にある民家◆
▲窓もドアも開いたまま、もしくはブルーシートで塞ぐことなく
民家の多くが、防犯や野生動物の侵入を防ぐための対策をしていない
この町は、死んでいる
避難した住民は、既に心は離れ
帰ってくるつもりはないのでは
福島原発事故から、丸9年になるのに
双葉町の未来はあるのか
他の3つの町とは
住民の想いと言うか空気があまりにも違い過ぎる双葉町に
深刻な手遅れ感を覚え複雑な想いでした
明日は、3.11
せめて明日だけでも
犠牲になった命と置いてきぼりになった魂と
福島・被災地の未来のために
黙祷を
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
■福島・被災地での活動のためのご支援のお願いは、リンク先をご覧ください。
https://happycat-satuki.amebaownd.com/posts/1799625
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